わがまち港北2

前表紙
一般社団法人地域インターネット新聞社, 2021/01/20 - 382 ページ

横浜市最多の人口を持つ港北区で35万区民の誰もが読める歴史エッセーとして、歴史家・平井誠二(大倉精神文化研究所)が約20年にわたって区の情報紙に書き継いできた『わがまち港北』がさらにパワーアップした内容で出版された第2巻

『わがまち港北』の発売から約5年、脂ののった筆者が港北区をより深く幅広く掘り下げた『わがまち港北2』では、林宏美研究員(大倉精神文化研究所)の力も得て、新たな発見を多数盛り込む。

続日本100名城となった中世の「小机城」から、昭和期に栄華を極めた「綱島温泉」、東急東横線とともに栄えた大学の街「日吉」と著名住宅街「大倉山」、そして神奈川県の玄関口となった「新横浜」、交通の要衝「菊名」、自然の恵みと災禍をもたらす「鶴見川」など、地域の成り立ちから意外なエピソードまで、無限に広がるテーマを丹念に取材・調査。2巻には特別付録としてキーワード集と索引、詳細な参考文献集を収録。

約20年にわたって読者の心をつかみ続ける全3冊の地域史シリーズが待望の電子化。


<本書の内容>

・新吉田を領地、平安の武将・鎌倉景政と『港北百話』

・港北区内の公共施設から始まる生涯学習

・昔、鶴見川に生息地、小机に「サクラソウ」を

・篠原、菊名、大豆戸町…港北区役所70周年の歴史

・鶴見川に「舟運」復活、水を汲み出すアカカエに注目

・ビール瓶を包む「ツトッコ」を生産した大綱村

・子供もツトッコづくり、仲買人は“ツトッコ婆さん”

・戦時の配給事情、大倉精神文化研究所の所蔵資料から

・明治の「大日本博覧絵」に描かれた港北区の名望家

・郷土を造る人々、区内の自治功労者を訪ねて

・1940年幻の東京オリンピックと岸根公園会場案

・港北区で刊行された過去70年の「記念誌」を探る

・地産の銘菓、今も日吉や綱島、大倉山、小机などに

・天然氷を生産した港北区、昔はどれだけ寒かったのか

・12年に1度の開帳“稲毛七薬師霊場”、港北区は塩谷寺、西光院、興禅寺

・都筑橘樹(つづきたちばな)十二薬師霊場、区内は蓮華寺、神隠堂、正福寺、東照寺、大乗寺の5カ寺

・武南十二薬師霊場は貴雲寺、金剛寺、長福寺の3カ寺が区内に

・綱島の名士・飯田助夫氏が没後50年、歌人活動に注目

・作詞にあの著名人も、区内25小学校の「校歌」

・区内各地域の戦争体験者が語った貴重な記憶

・小机が源流、新羽町の土岐家に残された石碑とは

・アニメの舞台は大倉山、東横学園大倉山高校の歴史

・連載後日談、読者からの貴重な情報と指摘

・港北区内からも多数の兵士が出征した日露戦争

・探査機「はやぶさ」のニュースと高田天満宮の由緒

・新吉田にあった安立電気工場、新田中学校との関係

・小学校の独立へ向けた高田町住民の怒りと意地

・区の発足後、40年かかった港北図書館の開設

・新吉田に「銀行」の屋号、かつて石橋銀行の本店

・大倉山記念館と書庫が東日本大震災で耐えた理由

・8割近い家が被害を受けた関東大震災時の港北区

・東日本大震災と関東大震災から学ぶ区内の状況

・大綱橋近くの鶴見川で泳いでいた子供たちの古い写真

・米軍に接収された岸根公園、戦前からの歴史

・侠客の兼五郎親分、屋敷跡に下田小学校

・南極探検の白瀬中尉、妙蓮寺との深い関係を探る

・白瀬中尉から家を買った文化人・神部健之助氏とは

・仲手原に住んでいた郷土研究家・加山道之助氏

・ゆるキャラが大活躍の新横浜、登場までの経緯

・区を元気づける地域キャラ「がまんさま」「つなぴちちゃん」「こづくん」「たかたん」「どぼくねこ」「としょんぼ」「てんてん」「カブック」「とれおん」...一気に紹介!

・港北区の「横浜七福神」と地域紙『横浜港北新報』

・今も名残、綱島の「桃源台」と県内の名勝・史蹟投票

・県の名勝・史蹟となった新吉田の若雷神社

・首相も視察に訪れた港北区の地域子育て支援拠点

・大自然の中にあった下田町、住民を驚かせた新幹線計画

・大倉山にあった海軍気象部分室、貴重な資料をひも解く

・広く知られていない日吉の海軍水路部、師岡の海軍省図書庫

・多数の映画・テレビの舞台となった大倉山記念館と裏話

・鳥山の「印融」など、多くの名僧・学僧生んだ港北区

・古代インド語の研究者になった新羽の僧侶・平等通昭

・日本の美術指導者・岡倉天心が新羽で育った説

・なぜか大倉山記念館でロケした「ウルトラマン80」

・大倉山の梅林を愛し続けた俳人・河野南畦氏

・大倉山・菊名・新横浜に「大倉山さんぽみち」が生まれた経緯

・“さんぽみち”大倉山駅~鶴見川ルートを歩く

・13の地区に分けられた港北区、起源は江戸時代の村

・新横浜駅~鶴見川ルートに見る、いにしえと現代

・良好な景色と消えた案内、菊名駅~新横浜駅ルート

・新横浜にあった「養蛙場」、太尾堤排水路の思い出

・論文「彷徨える鳥山川」「文明期の綱島橋を再現する」を読む

・菊名駅~みその公園・横溝屋敷ルートを歩く

・道が複雑も深い歴史、大倉山駅~みそね公園ルート

・後日談、綱島の池谷(いけのや)光朗さん逝去ほか

・口絵(陸前高田でも活躍する、たかたん/20th新横浜パフォーマンスで命名された、かもねくん/鶴見川の和舟を復元した「たちばな」の進水式/初めて作られた大倉山駅の駅舎)

・小机城周辺の歴史ロマン(平井誠二)

・げんこつ和尚と人名辞典(平井誠二)

・大倉山記念館とドラマロケ(平井誠二)

・大倉山駅誕生クロニクル(林宏美)

・菊名駅の謎は聞くな?(平井誠二)

・わたしのまち港北・小机(今井和子)

・わたしのまち港北区(金子郁夫)

・私と港北区(倉見志津江)

・わたしのまち港北~だーいす木(中野保子)

・わたしのまち港北~仲手原に港北トンネル(野田久代)

・あとがき(林宏美)

・あとがき(平井誠二)

・(付録2)横浜市港北区関係の参考文献一覧

・(付録1)『わがまち港北』『わがまち港北2』の索引

 

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多く使われている語句

著者について (2021)

ひらい・せいじ、1956(昭和31)年、岡山県生まれの歴史家。専門は日本史。公益財団法人大倉精神文化研究所理事長(研究所長兼図書館長)。

18歳まで育った倉敷よりも、18年間住んだ東京よりも、転居から四半世紀を超えた横浜市緑区よりも、住んだことのない港北区域の文化や歴史に詳しくなってしまった。

大倉山記念館の塔の上に登って写真を撮ったのが自慢。記念館坂から見える富士山が好き。


はやし・ひろみ、1982(昭和57)年、神奈川県生まれ。公益財団法人大倉精神文化研究所研究員。

研究所の創立者である大倉邦彦さんと誕生日がピッタリ100年違いという奇跡の巡り合わせにより、研究所の仕事に運命を感じている。

子育ての合間に、SNSで港北区の新しい情報をチェックするのが、日々の楽しみになっている。

冬の青空の下で見る大倉山記念館と、梅の時期の大倉山の賑わいが好き。

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