Nihon koten bungaku zenshū, 第 9 巻Shōgakkan, 1973 |
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... 和歌序」を和文で書き、和文和歌を重んずる強い意欲を見せている。官位はあい変わらず低く、少内記・大内記などを歴任して、従五位下に叙せられたのは五十歳ごろの延喜十七(九七)年である。しかし歌人としてまた名筆としての名声はますます高く、貫之の ...
... 和歌序」を和文で書き、和文和歌を重んずる強い意欲を見せている。官位はあい変わらず低く、少内記・大内記などを歴任して、従五位下に叙せられたのは五十歳ごろの延喜十七(九七)年である。しかし歌人としてまた名筆としての名声はますます高く、貫之の ...
26 ページ
... 和歌の数はけっして少なくない。しかしながら『土佐日記』の和歌は、上述のようにこの作品の全体において貫之の心情が表現されているのだとすれば、そのための必要に応じて使用される材料であって、それ以上の意味を作品の内部で担っていない。和歌それ ...
... 和歌の数はけっして少なくない。しかしながら『土佐日記』の和歌は、上述のようにこの作品の全体において貫之の心情が表現されているのだとすれば、そのための必要に応じて使用される材料であって、それ以上の意味を作品の内部で担っていない。和歌それ ...
43 ページ
... 和歌が、その着想や趣致に重点をおいて評価され、面だたしい場で詠まれた和歌とひとしく理解されてきたのである。道綱母の和歌に関して次のような見解がある。たえず愚痴をこぼしたり悲しがったり、そうでなければ拗ねたり怒ったりして、たいへん扱い ...
... 和歌が、その着想や趣致に重点をおいて評価され、面だたしい場で詠まれた和歌とひとしく理解されてきたのである。道綱母の和歌に関して次のような見解がある。たえず愚痴をこぼしたり悲しがったり、そうでなければ拗ねたり怒ったりして、たいへん扱い ...
多く使われている語句
あっ あの あはれ あら あり いと いひ いま うち おり かく かける かな かれ くる けり ける けれ ここ ここち こそ ころ サイデンステッカー さま しまっ そう ただ たち たま たり たる つつ つる てき でも という ところ とし とも ながら なっ など なむ なら なり なる なれ にし ぬる のみ ばかり ひと べき へり ほど まし ます また まで ゆく より らむ られ りー ろう わたし われ 逢坂の関 伊勢物語 賀茂神社 貫之 気持 見え 見る 源氏物語 言う 言っ 作者 思い 思う 思っ 思ひ 思ふ 侍女 手紙 助詞 嘗会 親王 贈答 底本 土佐日記 道綱母 日本紀略 物忌 物語 返りごと 返事 方違え 枕草子 和歌 蜻蛉日記