鄉土の歴史: 近畿編宝文館, 1959 |
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... また造船業も盛んになって発達した港町であった。吉野方は東国との連絡をはかる良港として利用し親房が義良親王を奉じて出発したのもこの港であった。明応の大地震に人家千軒余が流されたが、半面安濃津が大打撃をうけて住民がこの地に集まったので、伊勢 ...
... また造船業も盛んになって発達した港町であった。吉野方は東国との連絡をはかる良港として利用し親房が義良親王を奉じて出発したのもこの港であった。明応の大地震に人家千軒余が流されたが、半面安濃津が大打撃をうけて住民がこの地に集まったので、伊勢 ...
116 ページ
また海岸近くの防風潮林・魚附森・船の目あてになるような森林を伐ることを著しく禁じた。津藩では棒・桜の樹は三尺以上のものは御用木として伐採を禁じ、伊賀でははげ山に砂防のため松を植えさせ荒廃地は数年間鎌止めとして雑草を刈ることさえ禁じた ...
また海岸近くの防風潮林・魚附森・船の目あてになるような森林を伐ることを著しく禁じた。津藩では棒・桜の樹は三尺以上のものは御用木として伐採を禁じ、伊賀でははげ山に砂防のため松を植えさせ荒廃地は数年間鎌止めとして雑草を刈ることさえ禁じた ...
118 ページ
... また万古の流れをくんで藤堂藩主が桑名か陶工を招いて焼いたのが安東焼であり、天保の頃、津の油屋の倉田久八が安東焼を再興したのが阿漕焼である。また亀山には道八焼として全国的に有名な高橋道八が出ているが窯は京都にあって郷土には余り関係がない ...
... また万古の流れをくんで藤堂藩主が桑名か陶工を招いて焼いたのが安東焼であり、天保の頃、津の油屋の倉田久八が安東焼を再興したのが阿漕焼である。また亀山には道八焼として全国的に有名な高橋道八が出ているが窯は京都にあって郷土には余り関係がない ...
多く使われている語句
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