鄉土の歴史: 近畿編宝文館, 1959 |
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261 ページ
... 丹波国の大半を包括するものである。山城国はむろん五畿内の一であるが、丹波・丹後両国はともに山陰道に属し、とくに丹波はその位置から、平安遷都以来都の北門となり「王城附庸の国」と称せられていたが、中世以降もしばしば戦略上の拠点となった。南北 ...
... 丹波国の大半を包括するものである。山城国はむろん五畿内の一であるが、丹波・丹後両国はともに山陰道に属し、とくに丹波はその位置から、平安遷都以来都の北門となり「王城附庸の国」と称せられていたが、中世以降もしばしば戦略上の拠点となった。南北 ...
278 ページ
... 丹波国府は南桑田郡亀岡町附近にあったと考えられている。亀岡盆地は丹波国内では最も早く開かれた地域で、大化前代にはそきみやけ皇室直轄地である蘇斯岐屯倉が置かれていた。今市内の三宅がその跡に比定されているが、丹波国南端であるにも拘らずここに ...
... 丹波国府は南桑田郡亀岡町附近にあったと考えられている。亀岡盆地は丹波国内では最も早く開かれた地域で、大化前代にはそきみやけ皇室直轄地である蘇斯岐屯倉が置かれていた。今市内の三宅がその跡に比定されているが、丹波国南端であるにも拘らずここに ...
361 ページ
... 丹波国の一部の分も含まれている。これによれば、丹後を除き山城・丹波では人口の減少したことが認められるが、その原因は当代他地方の場合と同様諸藩による苛酷な農民統制や洪水飢饉の頻発による生活水準の低下にあったと思われる。そうした理由から江戸 ...
... 丹波国の一部の分も含まれている。これによれば、丹後を除き山城・丹波では人口の減少したことが認められるが、その原因は当代他地方の場合と同様諸藩による苛酷な農民統制や洪水飢饉の頻発による生活水準の低下にあったと思われる。そうした理由から江戸 ...
多く使われている語句
あっ あり いた および かれ ここ これら さらに たち たと つて でも という とし なかっ なっ など なる において における によって による また まで より られ られる ろう われ 伊賀 伊勢 伊勢国 一揆 鎌倉 関係 紀州 紀州藩 吉野 京都 興福寺 近江 近世 熊野 熊野三山 慶長 経済 元禄 古墳 工業 江戸 国司 支配 時代 守護 商人 昭和 信長 神社 勢力 生産 摂津 摂津国 荘園 村落 多く 対し 代官 大阪 大和 丹後 丹後国 丹波 丹波国 地頭 地方 中心 中世 天皇 天正 東大寺 当時 奈良 農村 農民 播磨 播磨国 発達 発展 百姓 武士 文化 兵庫県 平安 北畠氏 幕府 明治 領主