鄉土の歴史: 近畿編宝文館, 1959 |
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... 地頭の争いが絶えず、その結果、弘安元年(一二七八)十二月八日、寺家雑掌法橋明舜と地頭木工権助藤原富綱とのあいだに、二十七か条よりなる和与状が交わされて、いちおうの妥協が成立した。ところが、その後も地頭の荘園侵蝕はやまず、弘安十年(一二八七) ...
... 地頭の争いが絶えず、その結果、弘安元年(一二七八)十二月八日、寺家雑掌法橋明舜と地頭木工権助藤原富綱とのあいだに、二十七か条よりなる和与状が交わされて、いちおうの妥協が成立した。ところが、その後も地頭の荘園侵蝕はやまず、弘安十年(一二八七) ...
476 ページ
... 地頭名の薄田を取りかえたり、あいついで非法をなしている。また、安正名・恒吉名は、地頭の管領で、領家年貢公事は「平民百姓の如く」弁償すべきであり、真光名は、領家が器用百姓に召付け、領家・地頭両者の所役をはらうのが、そのならつたけれども ...
... 地頭名の薄田を取りかえたり、あいついで非法をなしている。また、安正名・恒吉名は、地頭の管領で、領家年貢公事は「平民百姓の如く」弁償すべきであり、真光名は、領家が器用百姓に召付け、領家・地頭両者の所役をはらうのが、そのならつたけれども ...
477 ページ
... 地頭職は世襲されていった。しかし、かれらは、この地に代官をおいて荘務にあたらせたのである。その後、このような地頭代は、承久の変(承久三年=一二二一)の混乱期に乗じて、年貢を対し、貞享二年(一二二三)には、社家の訴えによつて、関東より下知状が ...
... 地頭職は世襲されていった。しかし、かれらは、この地に代官をおいて荘務にあたらせたのである。その後、このような地頭代は、承久の変(承久三年=一二二一)の混乱期に乗じて、年貢を対し、貞享二年(一二二三)には、社家の訴えによつて、関東より下知状が ...
多く使われている語句
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