Nihon kokugo daijiten, 第 4 巻Shōgakkan, 1972 |
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... という意。また、親子だけあって、よく似ているという意にもいう。○浄瑠璃・夕霧阿波鳴渡中「おやの子とてしほらしい、六つや七つで馬に乗る」浄瑠璃・八百屋お七-上「親御(おやご)は名ある武士とやら。承れば大それた事仕出して此比追放せられたとも ...
... という意。また、親子だけあって、よく似ているという意にもいう。○浄瑠璃・夕霧阿波鳴渡中「おやの子とてしほらしい、六つや七つで馬に乗る」浄瑠璃・八百屋お七-上「親御(おやご)は名ある武士とやら。承れば大それた事仕出して此比追放せられたとも ...
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... という。〇円がある多角形のすべての頂点を通ること。このとき、円をその多角形の外接円という。多角形の各辺がすべてある一つの円に接すること。このとき、前者を後者の外接多角形という。多角形の周囲があ角形のすの頂点を含むこと。このとき、前者外接 ...
... という。〇円がある多角形のすべての頂点を通ること。このとき、円をその多角形の外接円という。多角形の各辺がすべてある一つの円に接すること。このとき、前者を後者の外接多角形という。多角形の周囲があ角形のすの頂点を含むこと。このとき、前者外接 ...
393 ページ
... という意識から名づけられ、これに対し狂歌を栗の本という。有心(うしん)。井蛙抄-六「後鳥羽院御時、柿本、栗本とて置かる。柿本は世の常の歌、これ有心(しん)と名づく。栗本は狂歌、これを無心といふ」 2 純正優雅な連歌のこと。有心の連歌。これに対し ...
... という意識から名づけられ、これに対し狂歌を栗の本という。有心(うしん)。井蛙抄-六「後鳥羽院御時、柿本、栗本とて置かる。柿本は世の常の歌、これ有心(しん)と名づく。栗本は狂歌、これを無心といふ」 2 純正優雅な連歌のこと。有心の連歌。これに対し ...