ページの画像
PDF
ePub
[graphic]

高度成長期、昭和36年当時の新宿駅周辺。

近代社会を築いた、株式。 17世紀初め、オランダ人によって設立 された東インド会社が、株式会社の始ま りといわれています。以来、株式は、多 くの人びとの資金を集めることにより、 企業活動を円滑化し、世界各地で近代 社会を築く大きな力となってきました。 日本経済の原動力です、株式。 昭和三〇年頃からのあの高度成長。そし て現在の豊かな経済社会。この経済発展 を支えてきたのが、株式市場を通して集 められた金でした。日本経済の活力を 維持する原動力、株式。そして、二五〇〇

[blocks in formation]

万人の株主に支えられる株式は、ほんとう に大切な資源であると、野村ンは考えます。

野村證券

[graphic]
[graphic]
[graphic]
[graphic]
[graphic]

21世紀の地球経済をつくる、株式 いま、地球経済は、7世紀に向けて、心の ゆとりあふれる社会」をつくる努力をし ています。そのためには、これまで以上に さまざまなかたちで企業の積極的な活 動が必要です。株式市場も、こうした企 業に必要な資金を供給する直要な役割 を担うわけです。人類の英知によって誕 生した創造的資源である、株式 <野村〉は、この株式を大切にして、皆さま

れないが、タウトの信念においては、建築構造体により密 接にかかわる「釣合い」の観念を用いて、近代社会の諸観 念、諸々のイデオロギーを建築から切り離してしまうこと が重要だったのだと思われる。

イデオロギーの嫌悪や否定が、イデオロギーに代るもの として「釣合い」を究極的に引き出したという問題がここ にはあるが、それはタウトのかつての建築思想と行動の自 己批判をも意味していた。表現主義も社会主義も誤謬であ り、すでに彼の意識においては乗り超えられている。しか しなぜ自己批判が日本で起ったのか、を問題にすべきでは ないか。故国から我が身を切り離して、異国の「まれび と」となったことは、日本人の賓客歓待がかなり行き届S ていたとはいっても、タウトの孤独な実存という根本規定 をどうすることもできはしなかった。タウトにしても、日 本で建築家としての仕事が多忙であったら、イデオロギー の極端な拒否に向うこともなかったかもしれない。桂離宮 や伊勢神宮の建築をたたえ、日光東照宮を斥けたのにして も、イデオロギーとは無関係で、実存的「釣合い」論の問 題だった。彼の脳裡にはいかにも、「天皇の建築対将軍の 建築」という対比の図式が揺曳していたが、判断は一から 十まで建築物そのものの調和と連続のいかんによってなさ れている。こうしてイデオロギーを捨象してしまったタウ トが「社会主義」時代の過去を何ら問われることもなく、 折からの時勢の中で、日本ナショナリズムから担がれたと

う。構造的にも「釣合い」が確立されたら、社会構造的な 「連続性」も開けてこようが、それはまだ「遥遠なかなた にある」。とはいえ、やはり現代は「建築とその連続性と の問題が重大な意義をもつ時代」であり、タウトが敢えて したような思索は不可欠の筈である。思索し著述する建築 家の自覚の中で、言葉も建築家の武器となってゆく。

建築家は、この自然の手段(言語)を用いて、自己の 思想を表現してよいのではないか。建築家は、今日のよ うな混乱、紛糾する諸問題のただ中にあって、全体的人 間―換言すれば、単なる技術家や製図屋の域にとどま るのでなく、言葉、音、色、形等々を愛する全人であっ てはいけないのか。

このように、思索のはてに「全人」があらわれる。「全 人」は、タウトという主体が不可測の未来に実現を夢みた 建築家の像である。そしてこれはカント以来のドイツ哲学 の流れをも汲んでいたように思われる。カントはその第三 批判である美学を『判断力批判』と題したが、それを連想 しながら思いえが い てゆくと、タウトは建築の「美」と 「秩序」についての判断力を研磨する方法をさぐっていた のだ、と見えてくる。正しい建築とは何なのか。「美」と なりきった釣合いの実現がそれだとすれば、それを発見す べき建築判断力は「美」の研磨だけでは得

音、色、形等々」を森合するような釣合い感覚を磨か なければならない しかしこうして見出さ

ている。 は、タウトに全体性、普遍性を

言い、「御門の傍に立って正面から眺めたこの屋の

« 前へ次へ »