● れは収まってきた。最もタウトらしい映像はやはり桂離宮 に立つタウトであり、もう一つは日本で一番多くの時間を すごした少林山・洗心亭でのタウトだ。ちらちらと揺れる イメージのはかなさを乗り超えて、それらの映像はこちら に向って何か呼びかけているようだった。 少林山・洗心亭に行ってみることにした。タウトの気を 感じとってみたくなったのだ。この前行ったのは九月で、夏 木立の繁りが濃かったが、今度は三月、ひるすぎころ着い てみると、暖S陽差しの中で葉を落した木々の枝はまだ透 けてみえる。百七十一段の大石段をのぼって寺域に入り、 さらに六十五段あがった境内の高所の霊符堂(本堂)に参 詣した。五十数年以前、タウト居住当時の写真に見かけた ような、浅間山をはじめ四方の山々までが一望に見える大 観は、現在では周囲の樹木に遮られている感じがするし、 加えて陽気のせいか上空も遠景もうすく靄がかかって、山 なみはよく見えない。だが境内は洗心亭の一隅を含めて高 爽開器の趣がなおよく保たれている。梅が綻びかけている 遊歩路を下りてくると、洗心亭は雨戸まで閉め切って人気 もなく静まりかえっていた。前に来たときは、ガラス戸越 しに室内を窺えたのだったが、これでは取りつく島もな い。タウトはいま、ここにはいない。これは不在そのもの だ。亭の周囲を一、二回まわって歩いてから、瑞雲閣と称 する庫裡に行ってタウト記念室を見た。デスマスク、制作 品の椅子、色紙、手紙などにいつまでも眼を向けながら、 出したのを記念して、毎年その祝日になるとアテナイは 「祭使」をデロス島に派遣するということが語られている。 この祭使派遣という市をあげての祝祭のあいだ、ソクラテ ス の死刑執行が停止されていたというわけだが、この「祭 使」がテオーリアと呼ばれていたのだった。国家もしくは 共同体を代表して異郷他国にはるばると出向き、その地で 祝祭に列して祝祭の模様をその眼で見届ける役がテオーリ アなのである。これはただ祝祭に列席する以上の存在と考 えねばならない。彼は自国の中で祭事にかかわるのではな く、異国を訪れて祭儀に加わり、祝祭競技を見る任務を帯 びていた。 ブラトンの『法律』(十二五)には、外国へ旅すること に関して次のような一節が読まれる。 ......アポロンのためにピュト(デルボイ)へ、ゼウス のためにオリュンピアへ、またネメアやイストモスへ、 これらの神々に対して捧げられる犠牲や競技に参加する ための祭使を、われわれは派遣しなければならない。 ......その人たちこそ、平時の聖なる集会において、この 国によき評判をもたらすはずであり、戦争によってあげ られる名声に匹敵するものを国家にあたえてくれるだろ うから。 この個所では、語形はテオーリアの別形テオーロイ(複 「観ずる」に発しており、「見ること」の上に「祝祭」 は閑雅な早春の午後だ。講堂の前を歩いて洗心亭の方へ 戻ってみると、木々の枝どしにはるか向うの碓氷川が視界 に入ってきた。晴天続きだったので水量は多くなく、白い 細い筋が少しかすんで見えるばかりである。その白い筋の さらに向うをひっきりなしに車が走っているのは、あれが 旧中山道なのだろう。そのあたり住宅や工場が拡がってい るが、まだ一帯が田園だったそのころ、地元の人々はあの あたりから洗心亭の灯が夜遅くまでついているのを見た筈 だった。彼らが「タウトさん」と呼んでいた人物の内部で は、タウトというよりも一人の「まれびと」が日本の美の 光と影をこの国の人々に向って語ろうとし、また一人の 「テオーリア」が彼を容れようとしない故国の方に向けて、 メッセージを綴っていたのだ―こんなことを思いうかべ た私は、そんな想念のひとつひとつをもう一度確かめてみ なければ、と感じながら鐘楼の下をくぐり、所々木洩れ陽 が落ちてくる石段を下りていった。 〈付記〉タウトの著書、日記などの引用は、既刊の翻訳によっ て行った。ただし統一の必要から、旧仮名、旧字は新仮名、新 字にあらため、各種の表記記号も若干変更するなどしたことを お断りしたい。それらの引用出典をはじめ、参照した文献は、 単行本として刊行する際にあげる予定である。 ■募集内容体験を中心に自らのありかたを殺ったもの、又は、自分自身に大きな影響や感 銘を与えた人物(肉親、恩師など)の生き方を描いたものであること。 ●作品は、ノンフィクションであること。 ●製本したものは、受付けない。 日本語で書かれていること。 北九州市◎森島外記念事業 自分史文学賞 ■応募様式400字詰め縦書き原稿用紙(B4判)使用、200枚から300枚程度 ワープロ原稿可、400字換算枚数を明記のこと。 ること。 (ノリ付けはしない。) ●応募後の作品の訂正等は、一切受付けない。 大賞:1名■200万円/佳作:2名■各50万円 (表彰式は、北九州市内にて行う。) 受賞作の著作権等諸権利は北九州市の所有とする。 こと。 主催:北九州市・北九州市教育委員会 自分史文学賞係 TEL093-582-2391 第1回大賞作「聖馬昇天 坂本繁二郎と私 岩田 礼/(株)学習研究社/只今発売中! だから記憶にある母は、家にいるときの割素 洋服は、同じ路地の筋向いに住む中国人仕 子供服を仕立屋に任せるようになったの これは白い小さい千鳥がところどころ群れ 装身具も母は嫌った。指輪をはめるのは父 人の、おさげ髪の娘たちを三等船室の丸窓に それが半世紀もの後、この島の、大瀬崎の 四十代のころの母は、私たちの授業参観や |