亡き跡も原宿のヴィラ・ビアンカに住み、生前の生活を というから、紫の上のように、自分の思うとおりの女に育 。% 世の中には、解っているつもりでも、書いてみないと解 野山二郎の日記 の役にも立たなかった人間おけらの快 * 唯々気は優しい女とこそ暮したいのが亭主としての唯 一の願ひその外に百の落度もものかは 二郎の前の分れた女房は気の利く事天下一にて二郎を 亭主にして寸分のすきもない女だったが心の奥そこに わだかまりあつて遂にとけず温い心を持たぬ気の話な 女ゆえに遂にひびが入つた 僕なぞは人に笑はれたり馬鹿にされたりずうぐしく 振るまわれたりしてみ乍ら管テ顔に出した事がなく 人に対当に物を言って喧嘩なぞした事生れて一度もな い 親にも兄弟にも僕は本当の顔を見せた事がない 僕の本当の正直な顔は僕の女房だけが知ってみる 女 房にだけ邪けんだと思ったら大間違ひまして恋人な んぞといふ種類の女に見せるやうな姿ではない * 日本の詩人だの小説家ぐらひ御都合な頭の働きをする 人間はない先づ第一に困った事には彼等には分らな い事はないと言ふ自信だ 頭の押へ手のない独り息子が親父になつた様な奴等 だ * 婦人公論十二月号それ敏子の百八十枚の自叙伝、日 して仕舞つたのである。何故今日私小説がのたれ死し て仕舞つたかと言ふ事は難しい。 大勢に論じまくられて御維新に肩あげを捲り上げて出 発する無数の時代的文人の出現は、その大勢に意味が あるだらうが、私小説がこれには向ふ力はない。併 し、たば私小説家に力がない事だけに注意されたい。 音楽家の追求すべき世界、美術家の追求すべき世界は また大勢を論じない。 * 横光さんが僕の随筆は何よりだといつも思ってみると 言ふから驚いたもんだ。随筆どころか、この七八年、 何も書いた事はないのだ。何よりだか何だか、書い て見るから試して見て貰ひたいもんだ。横光さんは SA、河上徹太郎ときたら、僕が表紙をかいた時は黙 ってみたが、頼まれたからカットをかいたのに、あら、 中までいたづらがきをしたんだネ、と言った。それじ や、もういいのかと思ふと編輯者から、やれ「女につ いて」といふのを一つだとか、「政治について」と い ムカットを一つだとか、河上に聞いて見な、そんなに かいていいんだか何うだか、と言ふやうな訳であの時 には足の裏をかいてやった。政治に付いてなんてカッ ト可笑くって。 僕が「我が交友録」と言ふのを、文学界に一年間連 すると言ったら、こんちきしやう書くもんかい、アテ |