ページの画像
PDF
ePub

の番組を観ている長女に、散歩にでも行くか、と私は声を
かけた。そうよ、お父さんと一緒に行ってきなさいよ、お
母さんはこのへん何にも知らない から、と台所の女房が口
を添えた。よしお父さんが通った小学校に行こう、ブラン
コや滑り台があるぞ。そう私が言うと、思いがけず娘は
いた。

私の二三歩後を腕を前でぶらぶらさせ顎を出すような恰
好で歩きながら娘が付いてきた。小学校まではほんの三四
分の距離だった。小学校の建物は、コンクリートの側壁か
ら鉄筋が剥出しになっていた。私の在学中に木造の校舎か
ら建て替えられ、増築するためにそうなっているのだと聞
いた覚えがある。だが思った通りには児童が増えず、十五
年近くもそのままになっているらしかった。

私と娘は、並んでブランコに座った。そこは、中学時代
の私と少女の朝のデートの場所だった。私は新聞配達を済
ませるとここへ急ぎ、いつも先に来て待っていた少女とわ
ずかな時間を過ごした。朝の光に少女の顔の産毛が金色に
輝くのが眩ゆかった。一時間も経てばすぐにまた学校で
会えるのに、いつも別れづらい思いがしたものだった。校
庭の真ん中では、青いユニフォームを着たサッカーの選手
達が練習をしていた。かつては私も選ばれたその一員だっ

た。

お父さんはな、と私は娘に話しかけた。運動会のとき

なかった、不公平になるから入学金の代わりに貯金してお いた金だ、と親父が言った。私は通帳を開いてみた。額面 五十万円の貸付信託の証書だった。お前のものだ。親父が もう一度言った。これで嫌なことを切り出さなくて済ん だ、と私は思った。だが、女房子供をダシにして無心に来 た下心を見透かされた思いに強い自己嫌悪が拭えなかっ た。

翌朝一番の新幹線で私達は帰途についた。帰省の目的を 果たせば長居は無用だった。それに、早朝のまだ眠い時間 の方が長女の乗り物酔いにはいいように思えた。女房の腹 の中の子供が生まれたときは見舞いに行くと、わざわざ駅 のホームまで見送りにきた両親が言った。娘たちは、親父 に買ってもらったお出かけワンワンを後生大事に抱え込ん でいた。 列車が動き出すと、私は右手の窓の外にしっと目を遣っ

アルマジロ王 島田雅彦。

共通感覚という愛を捜しつづけるみなし子たちに、救世主ア ルマジロ王は現れるか? 愛と性と思想の放浪の物語「アル マジロ王」。他に精鋭短編六編。 定価1150円(税込)

新潮社版

り場のない怒りに包まれたそのことが、逆に救いのように
思えた。そう考えることが、少しも禁忌だとも、女房や子
供を辱めることだとも思わなかった。むしろ自分は、初め
からそれを望んでいたのかもしれない。すでに赤ん坊の母
親になっていた初体験の少女を強く求めたように。血の繋
がりによらない幻の父と幻の母。だが、その企みも伐り落
された模の老木とともに永久に宙吊りにされたような気が
した。

祠の裏手に回った私は、煙草に火を点けた。一服してい
る最中に、そうだと思い立ってジーパンの尻ポケットを探
った。男に押しつけられるようにしてもらった女の局部の
写真を私は取り出した。薄笑いを浮かべながら、私はライ
ターの火でそれを燃やした。

新幹線が行人塚の前を通るときに、私は窓に顔を押しつ
けるようにして目を凝らした。だが、五階建てほどのビル
の建物に遮られて、何も見ることが出来なかった。

あなたのお母さんたら、もう子供は沢山にしなさいよな
んて真顔で言うんだもの、あたし返事に困っちゃった。広
瀬川を過ぎて、窓の外に向けていた視線を車内に戻した私
に、女房が言った。
女房は、生殖を伴わない性交を屈強に拒む女だった。

(~

[graphic]
« 前へ次へ »