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江藤淳/大江健三郎/筒井康隆/

中上健次/宮本輝

佐伯一 「アルースボーイ』

【佐伯一麦】 一九五九
年(昭和三十四)宮城
県生れ。仙台一高卒。
八四年、「木を接ぐ」で
第三回「海燕」新人文学
貨を受賞してデビュー。
九〇年、『ショート・サ
ーキット」で第一三回
野間文芸新人賞を受賞。

(「新潮」一九九一年四月号発表)

三島由紀夫賞 山本周五郎賞

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【第4回】

【立花隆】 一九四〇年 長崎生れ。評論家。著 多数。なかでも「田中 角栄研究 全記録」は余 りにも有名。

新潮学芸賞

立花 利根川 『精神と物質』利川進

【選考委員】 安部公房/司馬遼太郎/萩原延義/

柳田邦男/山崎正和

【利根川進一 一九三九 年愛知生れ。免疫込伝 学者。マサチューセッ ツ工科大教授。ノーベ ル生理学・医学賞受賞。

(一九九〇年七月 文藝春秋刊)

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日本芸術大賞

大岡信/高山辰雄/中村真一郎

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根源的な抽象形態の 追求を通し、 雄渾な絵画世界を 築いた業績に対し。

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【城田哲】 一九四七年 (昭和二十二)大阪生れ。 七〇年ロードアイラン ド・スクール・オブ・デ ザイン卒業。以後アメ リカで活動し、八四年 から円環などの抽象形 態を重厚に表現した作 品の制作を始め、本年 の日本初個展でまとめ て発表し、注目された。

ブルーノ・タウト

電報にどんな電文が記されていたのか、もとより彼が知
る筈もない。おそらく彼は、顔見知りの誰かにそれを手渡
して一こと二とと口をきいたあと、庭さきの水飲み場で蛇
口に口をつけて水を飲み、手の甲で口もとを拭いながらす
たすたと石段を下りていっただろう。もうこれ以上、との
男と附き合う必要はない。

必要はないが、この男が職務上はたした行動の軌跡、つ
まりまず高い所にのぼってゆき、やがて下りてくる、もし
くは何かを手渡しにやって来て、渡し了るとまた立ち去っ
てゆくという行為は、手渡された電報の宛名人から同じ形
の軌跡を導き出すこととなる、とだけは言っておこう。二
年少し前に、はじめてこの少林山にのぼってやって来たブ
ルーノ・タウトは、この日の電報によって丘陵から下り、
日本をあとにすることとなったのだから。

おそらく電報は、達磨寺の住職広瀬大蟲の娘敏子によっ
て、庫裡から、寺域の東端に位置し、ブルーノ・タウト、
エリカ・ヴィッティヒ夫妻の起居する洗心亭に届けられた
だろう。このとき、彼らの洗心亭住まいは二年をすぎ、日
常生活の手順も固まっていた。電報が届けられたとき、
妻はちょうど朝食の最中だった。

たとえばこんな会話が、ブルーノとエリカのあいだに交
されたかもしれない、と想像してみよう。現実の情景とし
てというよりは、あり得べき一つの情景として、そのとき
の二人の声はこんなふうに聞えてくるだろう。

「少林山ともお別れね。トシコやヤスコはどんなに驚くで しょう」 「ことにトシュはおまえを母のように思って慕ってきたし ね」 「そう。彼女にはドイツ料理をいくつも教えましたもの。 でもブルーノ、あなたの建築家としての夢が現実を超えて ゆくのよ」 「私がはじめてイスタンブールに行った時のことを思い出 した。一九一六年だからちょうど二十年前だ。ドイツ・ト ルコ会館を建てる仕事だった。それ以後何度トルコには行 ったことか。日本へ来る前にも立ち寄ったけれども、あの 時ちょっとしたトラブルがあったね」 「あなたはイスラム寺院を見るために誰だったかと一緒 に出かけた。四時半に汽船で待ち合せる筈だった。それ なのに、あなたが私に教えた汽船への道は間違っていたの

「今度はそんなことは起るまい。もう一度トルコが私たち を呼んだのだからね」 「トルコと再会するためには、日本と別れなければならな いわ」

別れがその人の心にとって重いか軽いかは、別れにかか わる種々の状況と条件のいかんによる、としか言えない。 それにしても、人が年輪と共に加えてゆく成熟とは、別れ を次々と身につけてゆくことで得られるものかも知れない

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