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つく様子を、全く自由な想像で描いたが、今日の別離の 有様は、奇しくもこれにそっくりであった、不思議なこ とだ!

「不思議」が彼の実感だったにしても、想像と現実とを一 致させえたのは、別離の芸術家のわざと言うべきである。 現実が想像を―芸術を模倣したのだ。これはタウト に、日本人の慣習にさしむける眼があったからだが、彼の 日本滞在生活そのものが一種の芸術だったともいえる。そ れと同時に、これによってタウトは、「別離の動機がはし めて明らかにする真実」という一つの領域に近づくにいた った。もっとも、想像と現実の間の若干のずれは、後から みて、いくつか指摘できなくはない。想像の中では、彼ら はウラジヴォストックからシベリア鉄道でドイツに帰るこ とになっていたが、現実は下関から関釜連絡船でアジア大 陸に渡ったのだし、行先もドイツではなくトルコだった。 そうしたずれは、いわば熟達した書家や画家の筆尖のかす れのようなものと了解しておこう。それよりもこのときタ ウトが近づきつつあった領域の真実性とは、ほかならぬ 「永遠なるもの」だったという問題に入ってゆかなければ ならない。 『永遠なるもの』は、三省堂が英訳で出版した『日本の家 屋と生活』から、なぜかその部分だけが選びとられ、昭和 十四年になって篠田英雄訳の岩波新書『日本美の再発見』

が「持続」であるとは、創建当初に達成した質が「現代」 に生きていることを意味する。すなわちそれは古くかつ新 しい。だがそれが「持続」だとして、「持続」を発見した この「私」はいったい何なのか。タウトが己れを省みて見 出した彼自身の実存は「別離」でしかあり得なかっ

はどの方面から見ても、その一切の部分を挙げて際通無 喉に、部分および全体がそれぞれ実現すべき目的に適っ ている。この目的は第一に、日常の他奇なき生活が便利 に営まれることであり、第二には尊貴の表現であり、ま た第三には高い哲学的精神の顕露である。しかもこの三 通りの目的が見事に統一されて天衣無縫の趣を示してい る...

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桂離宮の中の「現代性」、それがタウトのいう「永遠な るもの」である。このことは桂とならぶもう一つの離宮、 修学院の参観を終って離宮の正門に引き返してきたときの 次の感想を傍証として、一層明確となるだろう。

私達が再び離宮の正門まで戻ったとき、そこに私達を 待つ自動車が、まるで一つのものから出来ているかのよ うにこの清楚な門や、竹垣の基礎部と見事に調和してい るのを見た。「そうだ、これこそ日本のもつすぐれた点 なのだ。ここには何ひとつ異国的なものはない、また気 まぐれに入りこんだ要素もない。これこそ実にこの国土 のもつ『永遠なるもの』だ。これのみが新らしい日本文 化の基礎であり得るし、また実際にもかかる基礎になる だろう」。

タウトは、現代を象徴する機能的・効率的な「車」と離

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