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いは求道の志操も「隠」を支えていた。衆庶の中から即自 的に「隠」が出現したのではなかった。

数奇屋造りは美的緊迫感を張りつめた意識の所産であ
る。ところがそうした意識が築いた構造物の外見は、西欧を
はじめとする異邦の絢爛で堅固な王宮や離宮とは比べよう
もない「無常」の構えでしかなかった。隠者の草庵が「無
常」であるというのは、実のところ隠者が見捨ててきた都
の王宮や貴族の居宅が、すでに「無常」だったということ
ではなかったのか。桂離宮についてみるならば、松琴亭、
賞花亭、月波楼と三つある茶室は、草深い村里に埋もれて
建っていて少しもおかしくない田舎家のたたずまいであ
る。「極度の洗錬がその限界に達した田舎家」という矛盾
を孕んで桂離宮の茶室は成立している。一方、三棟が連接
しつつ順次後退して雁行形をとっている古・中・新三つの
当院は、茶室に比べれば規模も大きく、凝った造りを内在
させてはいるが、それにしてもいかに強弁しても西欧風な
基準での豪華壮麗を見出すことはできるものではない。せ
いぜい、洗錬の極において庵であることをはみだしてしま
った庵と呼ぶのがよいくらいのものである。

タウトは堅牢無比な石材、煉瓦、金属材で構築される西
欧宮殿を形容するときの言葉「無限」「永遠」「豊かさ」で
もって桂離宮をたたえたのではなかった。彼が『日記』で
用いた「無限」や「関係の豊かさ」の内実は別のものであ
る。それは彼の建築家的直観が、西欧的に彼の了解の範囲

ポエタ・ドクトウス

おいて、海彼の国からの来訪者ブルーノ・タウトによって
再現されたのである。これによって日本の家屋論、住居論
は新しい段階に入ったことになるのだろうか、それともそ
れはかつて太古の

までもない、折口信夫の詩人学者ふうのイメージが結晶さ せたまれびと神の来臨の情景である。まれびとー異邦、 異郷からの「聖なる来訪者」―とれはどれだけ歴史的概 念として確立されているのか、また民俗的現実として普遍 性を与えられているのか、という疑問があるかもしれな い。しかし「まれびと」の学問的概念手続の過度に厳密な 検討は、この際さして必要ではないとしておきたい。折口 信夫が『古代研究』の「追ひ書き」の中で「別化性能より も類化性能」の方が自分は発達しているようだと自己分析 して、事象の細部の相違を言い立てるよりも全体的類似や 相同を大づかみに括ってゆく方に重きを置き、その結果と して詩的イメージと学問的構想力の活性化を成しとげたよ うに、「まれびと」概念はどのような歴史状況にあっても 不可避な筈の異質性との接触、異邦人との交渉の一形式と して普遍化しうる、とゆるやかに受けとった方がよくはな いか。仮に折口信夫が出現しなくても、彼に代って構想力 あるボエタ・ドクトゥスがやはり「まれびと」に思い到っ ただろうと想像して一向に差支えないからである。

おそらく折口信夫も予期しなかったであろう西欧世界 から、別の「まれびと」としてタウトは日本の家を見届 け、該えたのだ、と了解することで、彼の桂離宮の中核は 解けるのである。ブルーノ・タウトは、中世から近世にか けての稠密な日本的連続性が、実質的に阻止してしまった ものを再獲得したのだ。古き民俗の中では、外来者のもた

る。室はぎに来る正客は稀に訪ふ神の身替りと考へられ て居たのである。恐らくは、正客が、呪言を唱へて後、 迎へられて宴の座に直つたものであらう。今も、沖縄の 田舎では、建築は、昼は人つくり、夜は神造ると信じて 居る。棟あげの当日は、神、家の中に降つて鉦を鳴し、

林などを叩き立てる。其音が、屋敷外に平伏して居る 家人の耳には、聞えると言ふ。勿論、巫女たちのする事 なのである。(『国文学の発生(第二稿))

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この「室はぎ」は新築の家だけに限って行われたのでは なかった。次の一節が述べるように、古めかしい茅屋であ ろうと「まれびと」によって祝福をうけた家が「新」とな りうる。「新」への復活である。

......神を請ずる家が「新室」と称へられた。昔から実 際新しい建て物を作るのだと考へられて来てゐる。だ が、来臨したまれびとの宣り出す咒詞の威力は、旧室を 一挙に若室・新殿に変して了ふのであった。母くとも、 さう信じてみた。(『村々の祭り』)

ワカムロ

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この一節で折口信夫が示唆した通り、「まれびと」の 「呪言」が何かを現実において変えたということはほとん どあり得なかっただろう。それにもかかわらず「呪言」は 間違いなく「旧」を「新」たらしめ、「凶」を「吉」と化

多種多様な変化はすべて用材そのものとこれに施した優 推な加工とから生じる――例えば松琴亭二の間の或る部 分に立て列べた桟など。

これは外腰掛のあたりから発して池水をめぐり、松琴亭
に達するまでの景色の変幻を、簡潔ながら正確に把握しえ
た一節である。ただ松琴亭を「やや高みに建てられた茶
室」としているのだけは、賞花亭と取り違えたらしいと推
定される程度で、タウトの対象把握力の精密度が読みとれ
る。このように正確に対象を把握しえたこと自体が「家は
め」「室ほぎ」の成就と言える。
ところでタウトの記述には、「松琴亭」 「田舎風景」

「田園詩」―「荒磯」といった一種の列挙形式が、
期せずしてあらわれている。ある順序を踏んでの情景や事
物の列挙という表現形式は古くからあった。たとえば道行
文がそうである。『太平記』の巻二、「落花の雪に踏み迷
ふ、片野の春の桜狩」で始る一節など、かつて人口に膾炙
していたし、近松門左衛門の心中物も道行によって有名で
ある。『平家物語』の合戦の場面も侍大将の勇壮華麗な出
立を「褐の直垂に黒皮威の鎧きて、五枚甲の緒をしめ、黒
漆の太刀をはき、廿四差S たる黒ぼろの矢負ひ......」(巻
四)という具合に調子づいた列挙の叙述が人の心を掻き立
てている。内に籠った空間ではなく、外に開かれた動揺の
はげしい人生模様の中では、情景や事物の変幻に伴う列挙

かちん

ぐり、橋があり小丘がある。自然石の下に設けた排水 溝。丘の繁みに立つ石燈籠の燈火は蛍をいざないよせ蛍 の光はまた池水に映しる、その様を月見台から眺めるの である。御堂(園林堂)、橋、魔域、大きな舟附場、多 人数の集い のための茶室 (笑意軒)。新書院の附近には 大弓場の跡があった。ここにお住いになられたのはさる 有名な親王であられる。

この一節で目につくのは、タウトが実際に見てはいない 筈の蛍の夜景が叙されていることだ。実見していないもの の叙述などは、いかがわしく、嘘めいているだろうか。そ れはマイナスの虚景なのか。いや、むしろその「虚」をこ そ評価すべきだと思う。それは「まれびと」が土地の有力 者、世話人、識者から知識を供給されて、それを「家ほ め」の祝詞に採って活かしたのであり、「まれびと」にふ さわしい行為に他ならなかった。単に「実」にかかわるの ではなく、「虚実」にかかわるのが「まれびと」という外 来者だからである。

そして右の一節の次にくる部分が、この日の「桂離宮」 の締めくくりとして申し分ない内容をそなえていた。

御殿を罷り、中門まえの道から池を眺める、一本の小 松が「水路」に臨んでいるだけでまったく中正の趣、流 れに架した橋の上からの眺めは一段と中正である。とこ

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