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自由や孤独感や対人的葛藤に悩みながら、三年半も滞在し たのは、建築ではない建築を発見するというかつてない経 験がこの国でできたからだった。しかしこの問題を再度拡 大して言い直すならばこうなる・ タウトは日本で建築で はない建築と、いかにも建築そのものである建築を二つな がら見出した。桂の美と日光の「キッチュ」を見出した、 その全体がタウトの日本発見であり、同時に西欧生れの建 築家として経験した一つの覚醒だったのだ。

けれども、ここで又しても別の難儀が待ちうけている。 桂を讃え日光を批判したタウトが、桂的なものに濃く薫染 されたひそかな内部をもつに至ったと考えるなら、同じよ うにあれほど「キッチュ」に眼を光らせ、倦むことなく 「キッチュ」を別択したのは、彼の内部に「キッチュ」的 本質が先行的に潜んでいたからではないか、という想像を 呼び出すことになるだろう。日光は否定したのだから、彼 の内部には日光はなかった、というのでは表面的と言わざ るをえない。結論がどうなってゆくかは別として、タウト の中に隠された「キッチュ」という問題に向かって、ここ から入ってゆくことができるのだ。それは二つの方向への 展開によって可能となる。一つはタウトの若き日々、壮年 の日々へ遡ってゆくことによって。もう一つは、日光東照 宮のあと、さらに各地をめぐり、建築を視察しつづけた彼 が何を見出したかの検討によって。

あべまき

みにしよせ

す。途中、小さく盛上った土橋を渡ったので、その下は水
路である筈だが、生垣や木立に遮られてまだ池の姿は見え
ない。

案内人は語ったー
「これが御幸門と言いまして桂離宮の正門に当りますが、
御覧のように質素で風雅な造りになっております。高貴の
お客は皆ここを潜ってお入りになったのです。この柱と桁
は皮付きのままの阿部慎、茅葺屋根の内側は竹の垂木でお
さえてあります。さて、そちらの右手前の大きな平たい石
は、お客の乗った御輿を一旦置いた台やったのです。この
門を入ってからお客は、今われわれが歩いて来たのとは逆
方向に、書院の玄関である御與寄の方に行かはったんで
す。その御幸道は青味がかった小石を敷きつめて歩きやす
くなっておりますが、との離宮は他にも飛石、延段、橋な
どひとつひとつ変化に富んでますよって、足もとにご注意
下さい。ではこれから時計廻りに、お茶室松琴亭の方へ参
ります」

案内人の説明が一字一句この通りであったのではない。
おおよそそんな風だったと言いたいが、記憶に曖昧なとこ
ろもある。しかしいまは、記憶がおおよそ再現するその案
内について行こう。引率された一団に加わって、限られた
時間内によく見、感しとろうとすれば、与えられた条件を
受け容れなければなるまい。受け容れた上での参観の工夫
は自分で考えよう。案内の拒否や案内からの逃避は、自分

のべだん

そてつやま

分る「外腰掛」が見えてきた。外腰掛直前の飛石は並外れ て巨大、その次の飛石は外腰掛の土庇の内側まで入りこん でいる。先程までの歩きやすい敷石道とは様変って、歩行 の快適さなど問題外というかのような荒々しさだ。この 荒々しさも、桂離宮の秘められたメッセージなのだろう。 これでは足もとに眼を向け、用心しないわけにはゆかな い

つつ次々と出現してくるというのに。

案内人はここで再び語った
「これが松琴亭での茶会に招かれたお客さんが、待合所と
して用いた外腰掛ですね。御覧になるように、細目の裸の
皮付丸太が柱として土比を支えております。形は茅葺寄棟
造り、吹き放しの簡素なものですが、こちらのこの二間の
腰掛に掛けはって、お客はあたりの景色に眼を娯しませな
がら、茶の順番を待ったというわけです。さて、腰掛の

せっちん
横、この扉の中は砂雪隠となっております。『桂御別業記』
という昔の書物の中に、『遠州好み』として挙げられてい
るものの一つですね。

では前を御覧下さい。これは『蘇鉄山』と言いまして、
薩摩の島津藩から献上されたという蘇鉄の群落、南国めい
たエキゾティックな風物となっております。手前の地面を
左右にずっと連っているのが、大小さまざまの敷石を組み
合せた通路、延段というもので、御輿寄前の『真の飛石』
に対して、こちらは『行』になるんですわ。延段の右のは
じに置かれてますのは二重枡形の手水鉢と言います」

すべてを眼に収めておきたい――この願いも十五分ほど
前までは、心に醇乎として燃えている感じだったのに、こ
のあたりで断念せざるを得ないことが分ってきた。人間は
同時に幾つもの情景、映像をとらえるようには造られてい
ない。見るためには憎大な断念が前提なのだ。では今、せ
めてこの蘇鉄山に眼をとめておこう。研究書や解説書の多

よう

ではどうやら、「古」「中」「新」三つの書院内部には入れ
ないらしい以上、松琴亭が建築としては最大の山であると
考えないわけにはゆかない。

早く、あそこまで。いや、本当はいまこの地点に立ち尽
したいのだ。そしてようやく五歩進んだ次の地点でも好み
のままに立ち尽して、亭を背景にした汀の風情に身を融か
し、首をめぐらして眼に入る限りのものを嘗め尽した S と

思う。

はま

しかしそう思う暇もなく、水辺の茂みの先に、黒く扁平
な玉石を敷きつめた「洲浜」が現れ、その延び出した先端
に小さな岬燈籠も見えてきた。さらに文字通りの一衣帯水
で、燈籠の向うの水中に、小松の緑が明暗をかすかに振り
分けている小島が浮かび、石橋で繋がれ、細く連なってい
る。「天の橋立」だ。「天の橋立」の向うは全容をあらわし
た松琴亭で、その眺めは離宮の回遊苑路の中でも、一二を
争う勝景をなしている。それはそこに在る。池の中や岸辺
にいくつも佇立する立石にも、何かは分らない かすかな気
配が宿っている。

期待は裏切られなかった。幾度も幾種類もこの現場の写
真を見てきたが、それらは今実景に届いた視線の妨げにな
っていないことを知った。倖せだ。だが、すべての感情は
情景と同じように、一歩ごとに過ぎてゆく。もし心の底の
方に、持続している静かな高揚感がなかったならば、すべ
てはただ過ぎ去るみと驚きのためだけにあるのか、こう

こは最も足場がよくない個所だったが、こうして辿りつい
た松琴亭はそれだけで充分 「奥」であり、隔てられた聖域
でもあった。石橋を渡り終れば方向は九十度転換して、こ
れまで視界の中央に来ることのなかった古書院を先頭とす
る雁行の書院群が中央に位置し、池水と中之島を隔てて、
視線を自らに収斂させようとしている。それは中之島の松
の幹越しに遠くあざやかに見える。

案内人は、四たび語ったー
「この建物が松琴亭。これは書院を別にすると池をめぐっ
て立っている建物の中でも一番大きくて重要なもので、そ
の昔......この一の間の床の間と襖にある白と紺青の大きな
市松模様は......加賀侯の富姫がお入れなされて...茶室
は......『八窓囲い』と......」

もうその声もあまり耳に入ってこない。跡切れだした。
どうしたのだろう。代って、何回も読み返してきたブルー
ノ・タウトの言葉が現実の映像、現実の音声を押しのけは
じめたようだった。

「ここは卍亭、別名を四腰掛と言います。松琴亭の茶会 が中立(途中の休憩)と

すでに言ったように、ブルーノ・タウトは二回ここを訪 れている。昭和八年五月四日と昭和九年五月七日。一 は下村正太郎、上野伊三郎夫妻、ガルニエ夫人と共にであ り、二回目はおそらく上野伊三郎だけが同行している。そ して、二回の訪問を綜合した形で残されたものが二つあ

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