な、確信と安堵のまじった気持が、しかに伝わってきて、 思わず、 「流れに棹をさすここちして」 と下の句をわたしはつづけました。わたしの心も流れに 乗るように浮々と至っていたのでした。 その冬、西行は鞍馬の奥で、厳しい寒さを凌いで修行に 打ち込みました。 わりなしや水る貨の水ゆに思ひ捨ててし春 の待たるる この歌が送られてきたとき、わたしもすでに京都を離れ ていました。西行が「思ひ捨ててし春」と言った気持が、 胸を鋭く刺す哀傷の思いとなって響きました。この世を出 離するとは、いざその時になってみると、やはりある痛み を伴った所業ではあったのです。わたしには、寺の庫裡に 引いた筧の水が、透明に凍っているのを、呆然と見ている 西行の気持が、わがことのように分りました。くる日もく る日も鞍馬の奥は当でしょう。高い杉木立から、雪が、日 い煙のように、時おり崩れ落ちてくるでしょう。スが驚い たように声をあげて飛び立ってゆくでしょう。そしてその あとには、果てしない静寂と不動の世界がつづくのです。 西行はその沈黙の重さに押しつぶされそうになっていろの でしょう。自分から望み、華やかな浮世のすべてを切り捨 は、よくあることで、混沌未分の、激しい渦のようなもの と申してよろしいでしょう。 それでも、変らずに西行を支えていたのは歌でした。歌 さればよと見るみる人の落ちぞ入る 多くの穴 の世にはありける かげは見るべき 寺々を廻る苦行の最後は醍醐の理性院の東安寺で行われ た。 いとなみ 「西住よ。こんな気持になるまで一年以上かかっている。 とにかく荒海を渡りきった いま、小さな船津に着いた感 時雨のなかで紅葉を深めてゆく木々の梢を見ても、晩秋 私はながいこと出かけることのなかった歌会の誘いに 半月を現前させるような言葉の力の場であった。私が普通 西住よ。私はようやく紀ノ川のほとりで眺めた浮島のよ 西住よ。もうそなたに会っても心騒がせず、昔のように 西行はこの長い手紙の終りに次のような歌を添えていま 花に染む心のいかで残りけん捨て果ててきと 思ふわが身に (「七の帖」終り) |