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手法 : 絹綾 動物 : 去勢した雄鶏

性的不能

象徴

された出来事

だがジョイスは (本人が

第二部 午後。一四時―一七時。 レンツォがミラーノで騒動に巻き込まれ、やむなく ルガモに逃れる。ルチーアは、尼僧ジェルトルーデの 手引きを受けた悪党の大将インノミナートに誘拐され る。ミラーノの枢機卿がルチーアを解放し、彼女をま ず博学の士ドン・フェッランテのもとに、次いでプラ セーデ夫人のもとに預ける。

シンボル:尼僧」 手法 : 図書経済学 動物 : 雌のラバー悪党たちの執拗さの象徴

第三部日没そして夜。一七時―二四時。 ミラーノでベストが発生、猛威をふるう。ドン・ロド リーゴ、ドン・アッボンディオそしてクリストーフォ ロ神父が次々死に、レンツォはベルガモからミラーノ に戻り、無事ルチーアと再会する。ようやくふたりは 結ばれ、結婚する。

シンボル : 死体収容人(モナット) 手法 : 病院 動物 : 不在。悪が滅びたため。 動物に代わって、ここには浄化の雨があるが、こ れは冒頭の水のモチーフを造起するものである

そのためには読者をフランツ・フォン・デン・ハイリゲ ンのごとき哲学者気取りの胡散くさい解釈から守っておき たい。何百頁も費やしてこの人物が説き明かそうとしたの は、この小説がまさしく、ひとりの邪な人物の妨害にあっ て延期を繰り返すことに苦しみながら、挙式の日を待ち焦 がれるひとりの若者と娘の物語であるということなのであ る。よもやこの冗漫な解釈法のなかに、ふたりの登場人物 の関係を官能的対極性という(なんとも俗悪な手垢まみれ の!)姿でとらえ、その結果いかなる限度をも超えて、こ の長篇小説の理解を複雑にすることによって、この作品の 論理全体を性的深層において復元しようとする試みを見な い者はいないであろう。きわめて明晰に――偉大な芸術家 のみが有する飾りけのなさによってーな読者の目に も、織物産業と母方居住制度との関係に関する一連の象徴 的徴候が余すところなくはっきりと見えるのである。たと えば「固執低音」のような執拗なアニェーゼの存在は、 「母権制」の現実を表現している(最高に無防備な読者で さえ、本書の大詰めで重くのしかかってくるこの母親の姿 のなかに、バハオーフェンの明らかな影響を看取したこと であろう。なんと彼女はレンツォとルチーアの子どもたち を連れ歩いて、「その子たちの顔に大きな接吻をするもの だから、そこがしばらく白く跡になって残るのだった」と あるではないか!)。また、ドン・アッボンディオがレン ツォに結婚を思い止まらせようとしてでっちあげる、例の 「婚姻障害事由」の象徴的示唆性とは、誰もが察するよう

ではベルガモをめざして逃げるレンツ の身に何が起き るだろうか? この町の名前に含まれている語呂合わせは おのずと明らかである。この名前には二種類の起源があ る。ひとつはドイツ起源の「山」berg、もうひとつはギリ シャ起源の「結婚」gamosである。ベルガモは、自己の失 われたセクシュアリティーの回復を願い、セクシュアリテ ィーのシンボルそのものである結婚を熱望するレンツォに とって、まさしく最後の憧れなのである(だがこのように して自己の潜在能力のシンボルそのものの到来を待ち望み ながら、レンツォはいかがわしいホモセクシュアルな雰囲 気のなかで苦悩を紛らせようとする。そのいかがわしさ 」 が、同時にルチーアがモンツァの尼僧とつづけている関係 の同せないかがわしさに対して調和を保とうとする〈戻り 歌〉であることは明らかであるーまた忘れてならないの は、トリエステにきわめて長期間滞在したミスタ・ジョイ スが、「外陰部」monaという語根のもつ性的意味を無視す るはずがないということである。注意してみれば、ルチー アが関係をもつ「尼僧」Monacaという言葉にも、後にレ ンツォとの再会を果たす避病院でルチーアを取り巻いてい る「死体収容人たち」Monattiという言葉にも、この語根 は認められるからである)。

さてこの作品において、いかに単純きわまりない方法に よってミスタ・ジョイスが人間の魂のもっとも奥深いとこ ろにまで分け入ることに成功したかということはお分かり いただけたものと思う。魂の秘められた予盾を明るみに出

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