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に、この言語の美しさを心ゆくまで味わうことのできる人 物が果たしているのだろうか、はなはだ疑わしいかぎりで ある。しかし美学的歪曲の誘惑というものは、現代詩にお いてと同様、批評家のなかに常に存在するものであり、だ からこそ書物を読む術を知ることは困難なのである。しか しながらこの書評―同時に夾雑物を介さないテキストと の直接的接触でもあったわけだが――は次のような一節を 引いて終わるのがもっともふさわしいであろう。それは、 数年前、フェイバー&フェイバー社から出版された『神 曲』のある一歌の詩句についてのエズラ・パウンドの評言 である。「明晰さが詩人の天分であることは稀である。だ からカヴァルカンティのごとき一介のヴォーティストに、 常に十人からの教養で膨れ上がったブルキエッロのような 学者連中が取りつくことになるのであろう。これはつま り、われわれの心の内には常にイシスが巣くっているとい うことだが、そこからわれわれを救うことのできるファウ ヌスの明晰さもまた常に存在するのである。ではなぜ「東 洋の碧玉のうるわしい色」dolce color d'oriental zaffiro などと難解な四語を費やすのだろうか? これに対応する 中国の漢字で表わしたほうがはるかに直截で平易ではない か」

(一九六二年)

*この掌篇の翻訳にあたり、ジョイスについて加藤光也氏から切な ご教示を賜った。また『いいなづけ』の引用部分については平川恥 弘氏の名訳を原則として使用させていただいた。記して御礼申し上 げる。

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きみには会えまい。ノニータ。ノニータ。ノニータ。三音 節、

き、待ち焦がれていた老衰という亡霊に残忍に蝕まれてい る、あのか弱い生きものたちを。大半の人々にしてみれば 未知であり、身持ちの固い二五歳のフリウーリ娘たちの習 慣的〈利用者たち〉の淫らな冷淡さによって忘れられてい る、この女たちを言い表すために、読者ょーこんなとき でも精いっぱい浅知恵をめぐらせて、きみは何度も何度も あどけない仕草を繰り返す、その仕草一つひとつが私には おぞましく映るのだー、こんな表現をあてても必ずしも 不正確ではないと思っている。かわいい女神たち〉と。

何だって、きみは(お前のことだ、読者という名の偽善 者、わが同類、わが兄弟!)、このわれわれの地下世界の 小さな沼のなかで、かわいい女神たちを狙う悪辣な愛好家 にもたらされる早朝の獲物のことで私にとやかく言うつも りなのか! ありきたりに昼下がりの公園を胸のふくらみ かけた小娘たちを追いかけて駆けずり回っているきみに、 かわいい女神たちを愛する者だけに許される、抑制のきい た密やかな、思わず笑みのこぼれるような狩りの、一体な にが分かるというのか、古びた公園のベンチや、郊外の墓 地の砂利に軋む小道で、日曜日のひととき養老院の片隅 で、共同簡易宿泊所の戸口で、保護聖人の行列に響く賛美 歌のなかで、慈善団体の福引き会場で、胸のつまるような 恋心を抱いて、ああ、無情なはどに清らかな逢い引きを待 ち焦がれ、火山のような深いしわの刻まれたその顔や、白 内障でうるんだその眼や、歯の抜けた口元の完璧な陥没地

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