新潮, 第 88 巻、第 7〜9 号 |
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松村栄子『僕はかぐや姫』は、「僕」が「わたし」に変る瞬間だけが描けていれ
ばよいという小説なので、もし四十枚以内でまとまっていればよい短篇になった
かも知れないと思った。 大江健三郎ひとり出産してその赤んぼうとともに少年 ...
松村栄子『僕はかぐや姫』は、「僕」が「わたし」に変る瞬間だけが描けていれ
ばよいという小説なので、もし四十枚以内でまとまっていればよい短篇になった
かも知れないと思った。 大江健三郎ひとり出産してその赤んぼうとともに少年 ...
29 ページ
そうして、下の娘だけでも引き受けると差し伸べた私の腕を無視して、女房は娘
二人を両腕に抱き上げた。何もあんなに腹を立てることなんかないのに。いつ
だってそうなんだから、子供に嫌われるのよ。あんた、鼻の頭から血が出てるわ
よ。
そうして、下の娘だけでも引き受けると差し伸べた私の腕を無視して、女房は娘
二人を両腕に抱き上げた。何もあんなに腹を立てることなんかないのに。いつ
だってそうなんだから、子供に嫌われるのよ。あんた、鼻の頭から血が出てるわ
よ。
43 ページ
こうして僅かな身の廻り品だけを携えた二人は、別れを告げようにもそのゆとり
はなく、人々との間は遮二無二隔てられてしまった。それは別離ではなくて、
一切の放棄、放擲だった。それに反していま、日本を去ろうとすれば、際限ない
別離 ...
こうして僅かな身の廻り品だけを携えた二人は、別れを告げようにもそのゆとり
はなく、人々との間は遮二無二隔てられてしまった。それは別離ではなくて、
一切の放棄、放擲だった。それに反していま、日本を去ろうとすれば、際限ない
別離 ...
44 ページ
それ以後京都、葉山、東京、仙台などですごしたあと、三四年八月のはじめ、
ここ高崎市郊外にある少林山達磨寺の洗心亭に入った。洗心亭という風雅閑寂な
名前にはそぐわない、六畳四畳半二間だけの簡素な、むしろ粗末なといった方が
いい ...
それ以後京都、葉山、東京、仙台などですごしたあと、三四年八月のはじめ、
ここ高崎市郊外にある少林山達磨寺の洗心亭に入った。洗心亭という風雅閑寂な
名前にはそぐわない、六畳四畳半二間だけの簡素な、むしろ粗末なといった方が
いい ...
49 ページ
永遠なるもの』は、三省堂が英訳で出版した『日本の家屋と生活』から、なぜか
その部分だけが選びとられ、昭和十四年になって篠田英雄訳の岩波新書『日本美
の再発見』 が「持続」であるとは、創建 私はこの一月に脱稿した『日本の家屋』
...
永遠なるもの』は、三省堂が英訳で出版した『日本の家屋と生活』から、なぜか
その部分だけが選びとられ、昭和十四年になって篠田英雄訳の岩波新書『日本美
の再発見』 が「持続」であるとは、創建 私はこの一月に脱稿した『日本の家屋』
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