新潮, 第 88 巻、第 7〜9 号 |
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210 ページ
美とは魂の純度の探求である 210 良く考へて見ると、俳句だつて骨董だつてお茶
だって、本当に良くこれ迄に人臭いところを洗ひ落したものだと思ふ。感心して
みると切りがない程、蓄音器の流行歌が人をひきずり込む様に、人心の極に達し
...
美とは魂の純度の探求である 210 良く考へて見ると、俳句だつて骨董だつてお茶
だって、本当に良くこれ迄に人臭いところを洗ひ落したものだと思ふ。感心して
みると切りがない程、蓄音器の流行歌が人をひきずり込む様に、人心の極に達し
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211 ページ
糸の無いたこがブンく揚つてゐる。心棒の無いコマが頭を振廻してみる。眼の
ある場所に耳が二つ並び、耳のところに眼玉が附いてるのは、まるで馬のやう
だが、鼻の下を見れば口が縦に付いてみた。おまけに脳みそはまる出しだ。神は
最善の ...
糸の無いたこがブンく揚つてゐる。心棒の無いコマが頭を振廻してみる。眼の
ある場所に耳が二つ並び、耳のところに眼玉が附いてるのは、まるで馬のやう
だが、鼻の下を見れば口が縦に付いてみた。おまけに脳みそはまる出しだ。神は
最善の ...
206 ページ
けだし家に伝はつてみたものとして、皆て友人が私に贈りくれしものである。〉(
河上肇全集続 7 一六八頁)「自叙伝」中この箇所が書かれたのは、昭和十六年十一
月二十五日(河上肇自記)であった。 った。「ともかく、書庫の下は 206 :私は、 ...
けだし家に伝はつてみたものとして、皆て友人が私に贈りくれしものである。〉(
河上肇全集続 7 一六八頁)「自叙伝」中この箇所が書かれたのは、昭和十六年十一
月二十五日(河上肇自記)であった。 った。「ともかく、書庫の下は 206 :私は、 ...
219 ページ
かう云ふのが両君の意見で、弘文堂では一切それを引受けると云って居るから、
一つ奮発して遣つて見ないかとのことに、私は即座にその決心をしてしまった。
私がさうした話を受けたのは、多分大正七年十二月のことであったらう。私は
すぐ ...
かう云ふのが両君の意見で、弘文堂では一切それを引受けると云って居るから、
一つ奮発して遣つて見ないかとのことに、私は即座にその決心をしてしまった。
私がさうした話を受けたのは、多分大正七年十二月のことであったらう。私は
すぐ ...
221 ページ
... されたやうに、当時は組織改造と人心改造との二頭立ての馬車を駆って居た
のであるから、組織改造の赤馬の方には可なり手網を弛めて仕舞つても、人心
改造の白馬をば思ふ存分に鞭うつことによつて、此物語の結論に達することが
出来た。
... されたやうに、当時は組織改造と人心改造との二頭立ての馬車を駆って居た
のであるから、組織改造の赤馬の方には可なり手網を弛めて仕舞つても、人心
改造の白馬をば思ふ存分に鞭うつことによつて、此物語の結論に達することが
出来た。
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