新潮, 第 88 巻、第 7〜9 号 |
この書籍内から
検索結果1-5 / 100
6 ページ
私は温突部屋に招き入れられ、分厚い族譜を前にして、立原正秋にまつはる人々
の話を聞いた。高井 1 有 があった。金敬文の長兄金琴石の孫に当る金杰端さんの
住居である。前庭に牛が繋がれ、二十羽に近い放し飼ひの鶏キム・コルキム・ ...
私は温突部屋に招き入れられ、分厚い族譜を前にして、立原正秋にまつはる人々
の話を聞いた。高井 1 有 があった。金敬文の長兄金琴石の孫に当る金杰端さんの
住居である。前庭に牛が繋がれ、二十羽に近い放し飼ひの鶏キム・コルキム・ ...
7 ページ
死病となつた食道癌の手術後、国立がんセンターで療養してみた立原正秋は、
見舞の客に向つて、村の小川の近んだ水で真楽瓜を冷やして食べるのが旨かった
、もう一度昔に還つて川魚獲りをしたい、としきりに故郷を懐しがつて語った
といふ ...
死病となつた食道癌の手術後、国立がんセンターで療養してみた立原正秋は、
見舞の客に向つて、村の小川の近んだ水で真楽瓜を冷やして食べるのが旨かった
、もう一度昔に還つて川魚獲りをしたい、としきりに故郷を懐しがつて語った
といふ ...
8 ページ
また、立原正秋がその中で育つた金敬文の「豊かな暮し」とは、どのやうなもの
だつたらう。私は権玉淑さんにも会つて確かめたかつたが、母はダム工事に働き
に出てみて遅くなるまで帰らない、と言はれて諦めなくてはならなかつた。
また、立原正秋がその中で育つた金敬文の「豊かな暮し」とは、どのやうなもの
だつたらう。私は権玉淑さんにも会つて確かめたかつたが、母はダム工事に働き
に出てみて遅くなるまで帰らない、と言はれて諦めなくてはならなかつた。
9 ページ
作家になつてからの立原正秋は、韓国を旅する機会があつたにも拘はらず、生れ
在所に足を踏み入れてみない。 ほんの少し前、七月十日に新宿区 立原正秋 厨房
の前を通り過ぎて小さな門を出ると、道は下りになり、下り切ると水の流れが
絶え ...
作家になつてからの立原正秋は、韓国を旅する機会があつたにも拘はらず、生れ
在所に足を踏み入れてみない。 ほんの少し前、七月十日に新宿区 立原正秋 厨房
の前を通り過ぎて小さな門を出ると、道は下りになり、下り切ると水の流れが
絶え ...
10 ページ
ほんの少し前、七月十日に新宿区河田町の東京都職員集会所で開かれた会合だ
つたが、立原正秋は生憎出席してみなかつた。この日、雑誌の名を〈庫〉とする
事が投票によつて決つた。提案者は佐江衆一である。たまたまダリの犀の
モティーフ ...
ほんの少し前、七月十日に新宿区河田町の東京都職員集会所で開かれた会合だ
つたが、立原正秋は生憎出席してみなかつた。この日、雑誌の名を〈庫〉とする
事が投票によつて決つた。提案者は佐江衆一である。たまたまダリの犀の
モティーフ ...
レビュー - レビューを書く
レビューが見つかりませんでした。
他の版 - すべて表示
多く使われている語句
あっ あと あの あり いい いた いっ いま うか うち かも かれ くる ここ させ さん しまっ しれ そう そこ それは そんな タウト だが だから だけ ただ たち だっ たと たら たり だろ つた つて てき でも という といふ とき ところ なか なかっ ながら なっ なの なら なり なる にし によって のか ぼく ほど まし ます ませ また まで みた みる もう やう よく より られ られる れる ろう わけ わたし われ 意味 河上 感じ 関係 建築 見え 言っ 言葉 考え 行っ 作品 思い 思う 思っ 時間 時代 自分 主義 書い 小説 人間 世界 生活 仙吉 津山 定価 同じ 日本 物語 文学 問題 立原正秋