和漢三才図会, 第 13 巻平凡社, 1985 |
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... あるいは五尺、あるいは三尺、あるいは五寸に形像に刻んで伽藍にゆぎようもうけんぞく庵摩訶耶娑婆訶」と言われた。またその時大黒天神は仏に申して、もし末法の世の衆生でおんまかぎややそわか婆塞の姿になって現われた。時に世尊は破顔し笑を含んで神呪 ...
... あるいは五尺、あるいは三尺、あるいは五寸に形像に刻んで伽藍にゆぎようもうけんぞく庵摩訶耶娑婆訶」と言われた。またその時大黒天神は仏に申して、もし末法の世の衆生でおんまかぎややそわか婆塞の姿になって現われた。時に世尊は破顔し笑を含んで神呪 ...
254 ページ
... あるいは木斎とする。のちに改めて紀伊とした。ただ貴と読んで伊を略す。(『国花記』ありたひたかむろ在田・日•『和名抄』にはなくさあまありたひたかむろ•海部・在田・日高・-婁、『拾芥わかやまうしとらやまと和歌山〔あるいは弱山である。艮(北東)は ...
... あるいは木斎とする。のちに改めて紀伊とした。ただ貴と読んで伊を略す。(『国花記』ありたひたかむろ在田・日•『和名抄』にはなくさあまありたひたかむろ•海部・在田・日高・-婁、『拾芥わかやまうしとらやまと和歌山〔あるいは弱山である。艮(北東)は ...
370 ページ
... あるいは版下完成時の正徳五年秋に起雲閣主から急ぎを乞うたものであり、その結果、早くても正徳五年の末、あるいは翌六年頃にはじめて刊本と成ったとされるのである。そして「今正徳四年に至る云々」の記事は推敲期における改筆ないし補筆であろうとされ ...
... あるいは版下完成時の正徳五年秋に起雲閣主から急ぎを乞うたものであり、その結果、早くても正徳五年の末、あるいは翌六年頃にはじめて刊本と成ったとされるのである。そして「今正徳四年に至る云々」の記事は推敲期における改筆ないし補筆であろうとされ ...