和漢三才図会, 第 13 巻平凡社, 1985 |
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... ここに葬ろうとしたが、所ずのだいせんりようあれはか以あって泉州百舌鳥野大仙陵に葬った。それでこの所を荒陵と称すると伝える。天王寺の山しみずこんりんざい天王寺金堂の下に井水があり、深さは金輪際に至る。常に亀井の水に溢れて、その流れかんば ...
... ここに葬ろうとしたが、所ずのだいせんりようあれはか以あって泉州百舌鳥野大仙陵に葬った。それでこの所を荒陵と称すると伝える。天王寺の山しみずこんりんざい天王寺金堂の下に井水があり、深さは金輪際に至る。常に亀井の水に溢れて、その流れかんば ...
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... ここに居をトした。今の金竜寺がこれである。池に竜がいるので名とする。ここにいて、時々淀の渡しロに出、自ら馬夫となって行人を助けた。慈順な性質で、怒ることはなく、常に微笑を含んでいた。応和二年(九六二)寂。寿六十六歳。世人は遺像を見て笑い仏 ...
... ここに居をトした。今の金竜寺がこれである。池に竜がいるので名とする。ここにいて、時々淀の渡しロに出、自ら馬夫となって行人を助けた。慈順な性質で、怒ることはなく、常に微笑を含んでいた。応和二年(九六二)寂。寿六十六歳。世人は遺像を見て笑い仏 ...
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... ここに収め葬った。なきがら同年二月二十二日、太子と妃が薨じ、二人の骸を共にここに葬った。三骨一廟の地である。けつかいせきぼん周囲に四百九十の石片(結界石)があり、皆弘法大師が観音の梵字を書いて彫っている。浄土堂本尊阿弥陀〔弘法大師作〕廟の ...
... ここに収め葬った。なきがら同年二月二十二日、太子と妃が薨じ、二人の骸を共にここに葬った。三骨一廟の地である。けつかいせきぼん周囲に四百九十の石片(結界石)があり、皆弘法大師が観音の梵字を書いて彫っている。浄土堂本尊阿弥陀〔弘法大師作〕廟の ...