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なくもない」 「だけど、貴方はマルコスぢやないんだし」 「さうさ。ただの通りすがりの人間さ。通りすがりの男が 僅かな食ひ物をくれたからって、今どき、直立不動の姿勢 をとって、有難うございますと、両手で受け取る奴が世の 中にあるかね。珍しくもそれをやった浮浪者を、此の次も う一度よく見て来る。同じ釜の飯というなら、同じ一と折 の餌を分けて食った間柄なんだから、よそながらの再会を して、兵隊の経験がありさうな年恰好かどうか、確かめて 来る」

家でかういふことを話し合って一週間後、彼に又、上野 を通る用事が出来た。路まったり寝そべったり の浮浪者 五、六人の顔を、露骨にならぬ程度に覗きこみながら、二 回地下道を往復してみたが、先だつての歯抜けは見あたら なかった。他の連中も、概して年齢の判断がつきにくいが、 どうも彼と同世代、陸海軍どちらかに従軍したであらう七 十歳前後の浮浪者といふのは、みないやうであった。そこ まで老いる前に、生涯を終ってしまふのかなと、不忍口の 方へ地下道を出たら、外は秋晴れのいい天気で、行楽の男 女や、顔の色、風体、種々さまざまな人々が、皆忙しげに 往き来してみた。

(了)

ふうてい

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英文テキスト・解説

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最後まで診てくれた医舗は、
「食欲があればSS ですかね。栄養が足らないようでし
たら、また次の手段を考えましょう」

と言っていた。次の手段というのは、太い静脈を探しだ
して、そこに針をいれて輸液を注入することだと思われた
が、子供としては今さらそんなことを、父にしたくなかっ
た。それでなくとも、父は医師を恐れていた。

父は係りつけの医師のことを、時おりチッチャンと呼ん
だが、それは彼が自分の子供の次に可愛がっていた甥の通
称である。つまり比較的意識がはっきりしている時は、医
師を甥だと誤認していたのである。それにこの医師はやた
らに注射しようとか、面倒な薬を出そうともしなかった。
発熱しても、市販の液状の風邪薬でも飲ませたら、そして
効かないようだったら、何か考えましょう、という人だっ
たし、また父の場合はその売薬がよく効いたのである。

いつもの医師の具合が悪くて、臨時に別の医師に往診を
頼んだことがあった。彼はいかにも医師らしい白衣を着て
いたが、父はひどく興奮して暴れ、そばにいる私の姉をつ
きとばすようなこともした。自分が入院させられると不安
になったというのが、まわりの者の判断だった。そのせい
だろうか、
「どっか具合が悪い?」

と尋ねても、いつも首を振った。それでも亡くなる二日 ほど前には、

る、と思われた。

輸液を入れよう、と医師が明日にも言いだすか、と思っ
ていた夜、容体が急変して、父の呼吸が早くなった。しか
も熱は高くない。私は電話で姉に今夜はすぐ寝て、明朝で
きるだけ早く来てほしい、と頼んだ。

翌朝、姉が来た。午前六時を廻って、もう医師に電話を
してもさして迷惑になるまい、と思われる時刻になって、
医師に往診を依頼した。
「心臓がかなり弱ってますからね」

医師が強心剤を注射すると、一時は血圧がもちなおした
が、すぐにまた低下して、五十を切った。われわれは血圧
を計るのをやめて父の呼吸を見ていた。次第に問遠にな
る。もうこれで終わりかと思うと、また一つ呼吸をする。
五秒、十秒、呼吸のない状態が続いても、また口が空気を
吸いこむかもしれない、と見守っていたが、ついに胸は二
度と動かない時がきた。

人が死ぬと、医師の死亡診断書が必要である。つまり異
常な死ではない、という証明をしてもらう。しかし最も健
全な死の場合では、死ぬまで医師の世話にならないのだか
ら、医師は死亡診断書は書けない ことになる。母の場合が
そうであった。この時は警察に来てもらった。本当なら、

変死かどうか監察医務院で解剖をうけなければならない か らである。母は幸いなことに、というか、気管支拡張症と いう持病があり、三十年以上も継続的に

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