相談して、薬を変えてもらうよう頼んでみるのだが、人 さえみえぬトゲーの話は、京の看護婦さんにも納得しても らえるものではなかった。それでますます導眠剤で寝る日 がつづいた。 京都に来て十日目だったかと思う。個室へ病院の事務長 さんがきて、「急なことだが」と前置きされ、部屋を空け てもらいたい、それについては、のっぴきならないことが あってお願いするのだが、と丁重な物言いで、じつはこの 病院の理事長でもある九十をすぎた高齢の方がこのたび盲 腸の手術をすませたところ、経過が少し思わしくないの で、予定になかった入院がながびくことになった。それで なろうことなら十階の私の部屋をゆずってもらえまいか、 と家族が願っておられる、というのだった。私のほうは主 治医のはなしだともう心臓は殆どよくなっていて、医者も 安心している。注意すべきは薬害の方で、少しずつ薬の量 をへらすようつとめているつもりだが一気にはゆかない。 そのためには、運動も必要で、醍醐の分院に併設されてい る循環器専門のリハビリセンターに入ってもらった方が、 ということであった。まあ、どっちにしても、駅前のその 個室から追われているのにちがいはなかった。正直、入院 してみて多少の不満も感じていたのだった。この病院の隣 りには消防署があって、しょっちゅうサイレンの音をきい た。サイレンを好きなわけはなかった。半年はたっている ースもこっちよりはいくらか広い部屋をおとりしました。 私は、すぐにそっちへ移ることを了承し、東京にも電話 昔の土地といってしまったけれど、たしかに、醍醐は太 もう成山から山、 火山に 葺き屋根の農家もありはしない かけて、紅葉 に雑木が、黄金いろだったり、真っ赤だっ ゆりかもめの一隊を見たのも、西陽にっていた山がな 病院の推薦で付添派出所からきてくれていた山根つるさ ら、鳥たちは、山すれすれにとぶのだろうと山根さんはい い、朝、比叡をこえてくるときはまだ元気があるので山頭 の上にきて、三つか四つの横隊に分れるということだっ た。一隊ごとに、横真一文字になって、京の空を、低めに とんできて、鴨川や桂川や宇治川へ分れてゆくそうな。と ころが、夕刻五時ごろになると、きまったように下のほう から鴨川を北へ向う、一羽の親分鳥(と山根さんはいう) が、五条のあたりへくると、急に雲雀みたいに天上へのぼ りつめて、雀ほど小さくなってから、大きな円をえがいて 飛翔するそうだ。すると、下の方から順々に、九条、七 条、五条、三条というふうに、鴨川の水面で羽を洗った り、岸を歩いたり、時には、パンきれをくれる人の手籠に むらがって愛嬌をふりまいていたのまでが、誰かに命令さ れたように上空へのぼりはじめて、先に飛翔している親分 鳥の下方でやはり円をえがくそうな。 「段々になってまるう飛んではりますねや。今出川の方ま でくると、上であそんでたのまでが揃って上へあがってゆ きなはるとこんどは親分鳥が、まっ先に比叡山のホテルの 方へ向わはりますねや。すると、あとのみんなが、輪をく ずして、矢のかたちにこんどは先を山型にしてあとはまっ すぐたてになって比叡山をこさはります。それはきれいな きれいな一列縦隊どっせ」 と山根さんは教えてくれた。朝はなぜ横隊できて、夕刻 時の子であった。 三つちかいさん。 癌で亡 た。 残った妻子はま京都市内にいるそうな。 他人事のようにいって、わらう山根さんを見ていたら、 U.C. BERKELEY !!BRARY 1 |