ページの画像
PDF
ePub

相談して、薬を変えてもらうよう頼んでみるのだが、人 さえみえぬトゲーの話は、京の看護婦さんにも納得しても らえるものではなかった。それでますます導眠剤で寝る日 がつづいた。

京都に来て十日目だったかと思う。個室へ病院の事務長 さんがきて、「急なことだが」と前置きされ、部屋を空け てもらいたい、それについては、のっぴきならないことが あってお願いするのだが、と丁重な物言いで、じつはこの 病院の理事長でもある九十をすぎた高齢の方がこのたび盲 腸の手術をすませたところ、経過が少し思わしくないの で、予定になかった入院がながびくことになった。それで なろうことなら十階の私の部屋をゆずってもらえまいか、 と家族が願っておられる、というのだった。私のほうは主 治医のはなしだともう心臓は殆どよくなっていて、医者も 安心している。注意すべきは薬害の方で、少しずつ薬の量 をへらすようつとめているつもりだが一気にはゆかない。 そのためには、運動も必要で、醍醐の分院に併設されてい る循環器専門のリハビリセンターに入ってもらった方が、 ということであった。まあ、どっちにしても、駅前のその 個室から追われているのにちがいはなかった。正直、入院 してみて多少の不満も感じていたのだった。この病院の隣 りには消防署があって、しょっちゅうサイレンの音をきい た。サイレンを好きなわけはなかった。半年はたっている

ースもこっちよりはいくらか広い部屋をおとりしました。
また、風景も少しかわっていますから、気分も一新なさい
ますでしょう。循環器病のお方にはみなよろこんでもらっ
ていますよ。 センターにはまた新しい器具も入りました
し、お仲間同志で、ピンポンでも、バトミントンでもなさ
って、むろん、医師の指導でやってもらうのですが、みな
さん楽しいらしくて、最近は外来でお通いになる患者さん
もふえております」

私は、すぐにそっちへ移ることを了承し、東京にも電話
して家内や家内の甥にもそれを告げた。むろん、私がよろ
こんでいることを家人が反対するわけはなかった。以上が
五十年ぶりで、私が醍醐へくることになった理由である。
むかし馴染んだ土地、馬とはなしまでしてなつかしんでい
た山や寺のそばへゆけるのである。

昔の土地といってしまったけれど、たしかに、醍醐は太
閤秀吉さんからの寺院であり、山でもあった。ところがき
てみたら大きく変っていて、とにかくびっくりした。先
ず、私の入院したS病院の分院と別棟のリハビリセンター
は、石田町という所にあって、つまり五十年まえには私が
馬をひいてよこぎった水田のあたりであった。地籍をいえ
ば、伏見区醍醐町字上石田十番地である。山科川の流れて
くる岸辺だった。馬をひいてわたった小橋の近所でだいた
S の見当は「おぐりすやいと」の看板のあった山畠の下あ

もう成山から山、 火山に

葺き屋根の農家もありはしない

かけて、紅葉 に雑木が、黄金いろだったり、真っ赤だっ
たりして、杉や檜の植林地帯をところどころ線をひいて隈
どったようにみせて、朝はかすみ、夕刻は西陽をうけて位
いろにけむっていた。

ゆりかもめの一隊を見たのも、西陽にっていた山がな
すび色に昏れるころだった。鴨川や桂川で日がなあそんで
いるとつたえられるこの鳥は、昔から京の人には都鳥とよ
ばれて、なぜか日の暮れになると、京には泊らずに、山を
こえて、琵琶湖へ帰るということだった。その泊り島の名
を竹島というそうだが、堅田の対岸の沖島近くにあるそう
だ。そんな遠S小島にもどって眠る鳥の白い隊列が、縦一
列に点々と見え、十二、三羽が醍醐山を屏風に、北へ早く
走るのを見たのだった。あれはもう十二月だったから、シ
ベリアからきてまもない頃だろう。私もまた、東京からき
て一ヵ月もたたない、冬直前のことだったので胸のつまる
ような感慨をおぼえた。

病院の推薦で付添派出所からきてくれていた山根つるさ
んが、こっちへきても週五回何やかや手伝ってくれていた
が、その山根さんが、
「ゆりかもめさんはかしこおっせ。朝はヨコ一列にならん
できゃはって、夜さりはタテ一列になって帰らはります。

ら、鳥たちは、山すれすれにとぶのだろうと山根さんはい い、朝、比叡をこえてくるときはまだ元気があるので山頭 の上にきて、三つか四つの横隊に分れるということだっ た。一隊ごとに、横真一文字になって、京の空を、低めに とんできて、鴨川や桂川や宇治川へ分れてゆくそうな。と ころが、夕刻五時ごろになると、きまったように下のほう から鴨川を北へ向う、一羽の親分鳥(と山根さんはいう) が、五条のあたりへくると、急に雲雀みたいに天上へのぼ りつめて、雀ほど小さくなってから、大きな円をえがいて 飛翔するそうだ。すると、下の方から順々に、九条、七 条、五条、三条というふうに、鴨川の水面で羽を洗った り、岸を歩いたり、時には、パンきれをくれる人の手籠に むらがって愛嬌をふりまいていたのまでが、誰かに命令さ れたように上空へのぼりはじめて、先に飛翔している親分 鳥の下方でやはり円をえがくそうな。 「段々になってまるう飛んではりますねや。今出川の方ま でくると、上であそんでたのまでが揃って上へあがってゆ きなはるとこんどは親分鳥が、まっ先に比叡山のホテルの 方へ向わはりますねや。すると、あとのみんなが、輪をく ずして、矢のかたちにこんどは先を山型にしてあとはまっ すぐたてになって比叡山をこさはります。それはきれいな きれいな一列縦隊どっせ」

と山根さんは教えてくれた。朝はなぜ横隊できて、夕刻

[ocr errors]

時の子であった。 三つちかいさん。 癌で亡

た。 残った妻子はま京都市内にいるそうな。
父親の政義さんもつるさん の小学校の時に死亡して、
は「トトさん」とふたりだけ。派出婦会の家政婦が似合う
といえば、山根さんは文句もあろうけれど、S病院へくる
ことがきまって、私の家内と家内の甥が、駅前の派出婦詰
所で面接した際に、山根さんをみて、同時にこの人ときめ
そうである。小造りな顔だけれど、亡くなった父親が、
土佐の四万十川の上流にある河辺村の出身だということだ
った。そんな遠い山国に生れた人の血につながって、美貌
とはいわないまでも、ひっこんだ目がきりっとしまってい
た。頬骨の張った顔だちもどこか律儀で健康そうだった。
まだ駅前にいた頃に、結婚なさったことがあるかときいて
みたら、「三十三のとき人なみに」とはずかしげにいって、
「個人タクシーしてはりましたけど、若い娘さんが好きで
......そっちへ行ってしもて帰らはらしまへんねや。うちも
せまいとこでトトさんといっしょどしたさかい、家が重と
うなって、スナックへつとめてはる若いひとの方がよかっ
たんとちがいますやろか。その人にとられてしまいました
.....」

他人事のようにいって、わらう山根さんを見ていたら、
なるほど薄幸な方へ神様がみちびいてゆきそうな顔だちに
見えた。トドなどと母親のことをよんではいるけれど、ふ

U.C. BERKELEY !!BRARY

1

« 前へ次へ »