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彼女たち!

ひとりをわたしの部屋へ連れてきて、隠したらどうだろう と考えているのだ。

それともわたしがあの人たちの群れに紛れこみたいと願 っているような気もする。

しかし、わたしの勝手な願いは、当然ながらどれも実現 しなかった。

ある夜のことである。わたしは部屋にいて、弁護士と電 話で相談していた。夫は離婚を承知したが、慰謝料を請求 してきたのだった。マンションは夫とわたしの共同の名義 になっていた。それを欲しいというのだ。

できるだけねぎってみるという弁護士の慰めに、わたし はよろしくお願いしますと答えるほかはなかった。注文を つけられる立場ではなかった。とりあえず問題が片づいた ら、わたしはどんな仕事にでもついて、生活費を稼ぐつも りだった。 彼女たちを見ていて、そんな覚悟もつくようになったの

振替東京5-175253

昔わたしは、自分のことならいくらでも話すことがある
と思っていた。若いころ、自分の若さが誇らしく感じられ
たように、自分という人間に生まれ合わせたことを、喜ん
でいた。何の根拠もなかったけれど、わたしはただ自分が
自分であるというだけで満足していた。

今のわたしは、何の語ることも持たない、つまらない女
だ。体のなかから、だんだん言葉が消えて、静かになって
いく感じがする。もう少しの間、わたしはここに隠れてい
よう。そうすれば、言葉だけでなく、わたし自身も、存在
が薄くなって、消えていくことができるかもしれない。

それでもわたしは、少し以前の自分を思いだすとき、ど
ういうわけか、自分の顔でなく、彼女たちの顔を順々に思
S浮かべて、いとしいような気持ちになっている。自分が
いとしいのか、彼女たちがいとしいのか、よくわからなく
なっている。

窓に目をやる。青空が見える。外に出るのも窓から身を
乗り出すのも、おっくうで、アオギリをしばらく見ていな
い。だが目に鮮明に浮かぶ。青々とした大きな葉が風に揺
れている姿が。
なぜこんなに鮮明なのだろう。

(了)

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●原稿には住所・電話番号・本名・年齢・略歴を記入し、必ずとして下さい。 ●宛先は 東京都新宿区矢来町1 新潮社内「新潮新人賞」係、。 ●全応募

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い。わたしたちは早々に蓄年と同れた。背後でスト14
オルガンが一段と元気よく鳴り出した。最り途でヤキト
を買った。

夕食のあと、思い立ってアルバムを出した。六年前にも
紫陽花を見るために、塔ノ沢へ行っている。写真が残って
いた。このときは神塚夫妻の招待だった。神塚さんはオー
ケストラで、長年バイオリンを弾いている。奥さんは家で
ピアノを教えていた。夫婦ともども遊ぶことが上手だっ
た。麻雀、花札、トランプ、ボーリングを暇あるごとに楽
しんでいる。その年には馬券を買って、三万円ばかり儲け
ていた。それでわたしたち夫婦を招いてくれたのである。
六月も下旬にかかっていた。かなり激しく雨が降っている
日だった。往復の切符を買ってもらった。昼食は箱根湯本
で、早川のほとりのソバ屋へ行った。ソバを食べながら、
お酒を飲んだ。ここもご馳走になるので、少々遠慮しなが
ら飲んだ。紫陽花の写真をたくさん撮った。雨の中で花は
美しかった。

アルバムをついでに操っていると、昭和三十八年の写真
が出てきた。東京オリンピック、東海道新幹線が開通する
前年である。長男が生まれる前の年でもある。写真のわた
しは、ひどく痩せていた。会社に出かける午前の光りの中
で、わたしは眩しくて顔をしかめている。ストリートオル
ガンの青年と同い歳くらいの、二十七歳だった。当時わた
しの顔色が悪くて、死相が現われている、と言った人がい

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