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きた。連合国軍といわれたが、これもほとんどがアメリカ 兵だっ

鋭い光が、射していた。わたしは気怠い体を壁に寄りかけ て坐って、軍隊が通り過ぎていくのを待った。

進駐した軍隊は数日のうちに、御山の裾野の町を、食べ
物の宝庫に変えてしまった。十数キロも離れたわたしが住
む町にまで、バターやチーズの匂いが流れてきて、御山の
辺りの空には、日本人には馴染の薄いピーナッツバターの
濃密な香が、脂肪のしみをつけていたほどである。彼らが
との町を駐留の地に選んだのは、海と山が穏かだからとい
われた。日本人が攻めてきても海から脱出できるから、と
も噂がたった。
それから四十六年が経過した。
噴火の恐怖を、原爆のどたったです、とアナウンサーの
マイクを握って、若い住人が答えてい る。わたしは、お
や、と思った。パンチパーマのあごが張った青年は、どう
みても戦後の生まれだ。原爆のどたった、という表現は時
空を越えてしまって、凄じいものの代表として使われてい
るらしい。アナウンサーも不思議に思わないらしく、灰か
ぐらで曇る空を見上げて、せわしく頷いている。

御山は、執拗に噴火を繰り返した。住民の、ことに海と
土に生きる人達の生活を根こそぎ奪って、しわしわ日時を
かけて熔岩を吐き出す。頂に瘤を盛りあげて、崩れるよう
で崩れ落ちない。いい加減になさいまし。御山の菩薩さま。

被害を受けている町から数キロ離れた町に、友達が住ん でいる。幾度目かの噴火が起きた翌朝、わたしは電話をか

性格は父親ゆずりのようである。

Aの家は、代々の医者である。父親は長崎とハワイで医
学を学んだ、外科医だった。結婚してハワイに渡った 姉
が、アメリカの医療の進歩に驚いて、医者になりたての弟
を呼び寄せたのである。大正時代の中頃という。日本人移
民の生活は貧しくて、医者を呼べる家庭は限られていた。
父親は、福祉活動をする姉について、無料診療に出かけて
いったという。

大学を了えると数年、現地で医療にあたり、帰国して病
院を継ぐ。Aはその長女だった。

洋行帰りの父親は、ハイカラな思S遣りの深い若先生と して、町の人に慕われていた。Aはそんな父親を、ひそか な誇りにしていた。夏休みになると小学生のAは、白い、 防暑用のヘルメットをかぶって往診に出かける父親に、つ いて歩いた。父親も娘を誘う。そんなとき、父親の白衣の ポケットには、黒砂糖のあめ玉が一杯詰まっている。子供 が い る家への、往診である。往診は、山を越えた村にまで及 ぶことがある。医者の数が不足していて、離れ小島に出か けることもあった。離れ小島といっても、大村湾や野母半 島の辺りに散在する、漁村である。電話が普及していない ころなので、小島の浜にのろしがあがる。これが急患の合 図である。のろしをみた者が村役場に走って、手近な医者 に電話をかけてもらう。飛脚よろしく、飛んでくる者もい

る必要から、予定より大きな建物と病院が、山間の村に塗 ってしまった。

青白S小粒のみかんの花が咲く五月の末に、Aやわたし
たちの学徒動員が決まった。村の家からAは動員先の工場
に通い、わたしたちの学年はまとまって、同じ兵器工場に
動員されたのである。

敵機の来襲が激しくなってきていた。動員先の工場は、
いっそう爆撃の目標にされるようになった。しかし、爆撃
の実害があったわけではない。偵察機らしい機影が上空を
旋廻して去る日が続く。嘘か誠か。真珠湾攻撃に使用した
魚雷の生みの親が、この兵器工場といわれる。噂にしろ、
流言飛語ほど、人の心をそそるものはない。いずれ爆撃を
受けるだろう、とわたしたちは覚悟した。

機械の疎開がはじまった。山が潰れない限り安全、とい
われるトンネル工場へ、学徒の一部が配置換えになる。わ
たしたちの学年も、一部の生徒が移っていった。Aは、そ
の同級生たちと連絡をとるために、九日は朝早くから、使
いに出されていた。日照りで、土埃りが立つ道を歩いてい
ると、警戒警報のサイレンが鳴った。すぐに、空襲警報が
発令されるだろう。今日はそのままトンネル工場で仕事を
なさい、戻ってこないでよろしい、危険ですからね、とい
ったT先生の言葉を、Aは思い出した。田舎道で空襲を受
けると、逃げ場がない。動くものなら執拗に追う、これが
グラマン機の戦術である。Aは、前方にみえる森に向かっ

えられなかった。

原爆のどたったです、とインタビューに答えた男のよう
に、噴火の現場に居合わせなかったわたしも場所を越え
て、あのエネルギーを共有したつもりでいるためらしかっ
た。灰塵と熱風の犠牲になった人たちの、無念の思い まで
も、吸収したつもりになっていた。

わたしは熔岩を、ブラスチックの扁平な容器に、仕舞っ
た。添えてあった一筆箋の便りも、納めた。その上に、桃
色のさんどの指数珠をのせた。

熔岩を受けとった日の夕方、Aから電話があった。三個
の熔岩は、庭に降ったものという。噴火の凄さをわたしに
知らせるために、昼間、買物を兼ねて熔岩探しに出かけた
のだそうだ。プラスチックのヘルメットにサングラス、マ
スクをかけて出かけたら、その上に日傘までさしている婦
人に逢った、と緊迫した降灰の下の生活を話して、こぶし
大の熔岩を探したけれどみつからなかった、と いった。
<みなさん手ごろな石から記念に持ち帰るらしいですょ〉
といった。命の危険に晒されているときに、記念にと考え
る人の心がおかしい、とAはいった。
〈おかしいと人の心を訝りながら、わたしも目につく熔岩
のなかから重量感のある石を探してるんです、毎日が平和
だからでしょうね、戦争と違って野菜もお肉も、品数は減
りましたけれどお店にいけば売ってありますよ、明日も生
きていられる安心感のようなものが今日を記念する気持を

の堪え性はお山の年月の四分の一、供給されるエネルギー
源が違いすぎるから比較にはならないが、堪え性にも限界
がきたようだから、といった。
〈話しても判ってもらえませんよね、いいえ、判るように
話せません、言葉や文字で伝わるほど単純な一日じゃあり
ませんでしたでしょう〉いっそ黙っていようと四十六年の
間、九日の話は口にしなかった、といった。
<女学生のころのわたしを、あなた覚えてくれてますか〉
と、少し弾んだ声でAが聞いた。すぐに、前髪を眉すれす
れに切り揃えた、ほっそりした顔立ちの、二重瞼の目が美
しい少女の顔が浮かんだ。物静かだが、人目を惹く女学生
だった。

――少し落ち着いて、求めていた本を読んでいます。「霊
性のささやき」なる個所、究極の立場にいますと時折り、
私にも聞こえてきて納得共鳴する部分があります。

熔岩に添えてあった文面について、共鳴する霊性と九日
のかかわりはあるのか、とわたしは訊ねた。Aは〈お山と
は向きあっていて逃げないんです、だから積んできたもろ
もろが焙り出されて、吐きたくなるんです、爆発の震動に
体を預けて坐ってますでしょう、恐ろしいんですよ、でも
一蓮托生って気持になれるんです、凄いですよぉ山のエネ
ルギー、自然に従ってお山は火を噴いているだけなんでし
ょうけれど、それに比べると九日からは逃げてばかりき
た、向きあう時機なのかもしれない、とAはいった。

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