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きて来た痕跡が見逃せぬほど沈しているのを、わたしは 興味深く眺めた。職業がかれらの今の顔を作ったのか、か れらの気質、才能、性格がその職業によって開花したのか、 どちらかわからないが、いま見ればだれもがそうなるの が必然だったような雰囲気を身につけているのであった。 そういう中で大賀陽介もまた、いかにもそうなるべき運命 であったように水商売の分囲気を完全に身につけていたの である。

けれどもそれだけだったら大賀陽介は依然としてわたし
には無縁な世界に生きる男に留まったかもしれない。彼の
ことが急に身近になったのは、熊本にいって彼の店を見た
時からだった。

旧制五高は戦後熊本大学と変ったが、その昔われわれに
ドイツ語を教えたN先生は戦後もそこの教授として留まっ
ていて、当時東京の私立大学の教師をしていたわたしに短
期集中講義を頼んで来られた。国立大学の講師というのは
だれもがいやがる仕事だが、昔の先生の依頼とあっては断
り切れない。わたしは夏休み前の一週間の集中講義を引受
けて熊本へ出掛けていった。

熊本を訪れるのは卒業以来初めてで、二十数年ぶりであ
った。熊本の街を見るのも旧友の今の顔の中に昔のおもか
げを探すのに似ていた。戦後の窮乏時代から高度経済成長
期にかけての熊本の変貌もはげしく、街の表情はすっかり

半と思われるとしまの風情で、やたらに騒がしくなく慎ま しげなのは、陽介の経営方針を示していると見えた。

――へえ、これが陽介の店か。
と、わたしは感嘆する思いで店の中を眺めやった。N先
生の話では、ここは役人とか営業マンとか社用族の接待に
よく使われるというが、店の雰囲気はいかにもそれらしく
作られているようだった。

待つ間もなく大智陽介が紫色の着物を着たひときわあで
やかな女をともなって、女たちのあいだから現れた。陽介
は同窓会のときと同じような いでたちをしているが、それ
がこの店では少しも野暮ったくなく、責任者の威厳をさえ
感じさせる。陽介はN先生に挨拶し、わたしには「やあ、
お久しぶり、よく来てくれたね」と懐しげな声をかけ、連
れの女を紹介した。それが彼の細君、すなわち店のマダム
であった。

わたしは現れた女の華やかさに気圧された。二、三十人
はいそうな花やかな女たちの中でも彼女はパッと目立つく
らいにあでやかで、華やぎの盛りにある女の一種の貫禄さ
え備えていた。三十代初めか、頭の回転の早そうないかに
も女盛りの美女である。わたしはこれがやっの新しい細君
かと、噂ではロクな話の伝わって来ない陽介の女出入りの
実体を見る思いで彼女を見つめた。噂によれば熊本一の売
れっ妓だった女を陽介がわがものにしたので、驚かぬ者は

女たちに囲まれ、女たちを完全に支配しているその色と
鉄のせめぎ合うところこそ、陽介にとっては自分の生きる
場であったのだ。

集中講義のつづく一週間のあいだわたしはN先生と連立
って、あるいはひとりで、毎晩一回は陽介の店に顔を出
し、陽介の経営ぶりを観察した。講義料を全部つぎこんで
も足りなかったが、好奇心の方が強かった。

ある日の宵の口に店へ入ろうとすると、入口でばったり
二人がクルマから降りるところで顔を合わせ、人混みの中
で立話した。細君はそういうところに立っていても人目を
ひくあでやかさで、自分でもそれを意識し、ことさらに華
やかさを演技しているようだった。
「とん人は」と彼女はつとわたしに顔を寄せ、重大な秘密
でも洩らすかのような目付きをしてみせた、「店に出る前
に毎日一度は必ず精を抜いておかんとあかんのですよ。そ
うせんと人目を盗んでどこでなにしおっとか、油断も隙も
ありまっせんもんなあ。」

そう言っていたずらっぽく笑う女を、陽介はにやにやし
ながら見つめていた。
「まさかこのとしで。」
Sいえ、ほんまのとつです。なあ、ああた......」

ホホホと笑って彼女が店に入ってゆくと、陽介は「よけ
いなことばかり言 S おって」と呟き、わたしを近くの店に
誘った。ここは汚ならしいような店だが熊本で一番うまい

たしを驚かせた。開店の日に同級生が大勢御祝儀にかけっ
けた。そのころになると悪口を言っていた級友も彼を認め
るようになっていたのである。

狭い店内は立っている場もな い くら い の混雑であった。
陽介は額に汗を浮べながら客の一人ひとりに挨拶し、女た
ちに指図していた。こちらでは洋装をさせられている彼女
らは熊本の店の女よりずっと若く、にぎやかで、東京での
陽介の方針をうかがわせた。こっちでは恋愛も許すつもり
じゃ、と陽介は片目をつぶってみせた。彼の意見では熊本
の女は日本中で一番水商売に向いているそうである。
「毎日しぼりとれなくて、カミさんはむこうで不安なんじ
ゃないか。」

とからかうと、陽介はきまじめな顔で、
「なに、むこうはむこうでよろしくやっているさ。」

当然そうあるはずというような返事をした。そういえば あの美人は自分一人がおとなしくワリを食っているような 玉ではなさそうである。とすると二人は夫婦とは言い条、 その実質は油断も隙もない男と女との戦いの連続であるの かもしれず、わたしはそういう夫婦関係を思ってゾッとし た。陽介はそのときは成功者であった。念願の銀座進出を 果たして彼は満足に光り輝いていた。うまくいっているあ いだはいいが、歯車が噛みあわなくなったらどうなるのだ ろうと、開店のにぎわいの中でわたしの想像はとかくその 反対の姿を思い浮べがちであった。

大いに宣伝した、こいつは昔の同級生だが珍しく水商売に
入って成功したやっなんだ、うんぬん。そして食後っとの
下通りの店を訪ねると店はもうそこにはなく、上通りに移
っていると教えられた。上通りの裏側のレンガ外壁の新し
いビルの二階に前と同じ名称でその店はあって、店構えは
前よりずっと高級な感じだが通りは閑散としていた。飲食
店のひしめく繁華街ではなくむしろ官庁街に近いあたりな
のである。

階上へ導く階段が幅広くゆったりしているのも、上り切
ったところに豪華なサロンがひらけるのも前と変らなかっ
たが、宵の口とはいえ店の中はひっそりとしていた。
「なんだかおっそろしく気取った店のようだが、大丈夫す
か。こういう構えの店は、おれはどうもおっかなくていけ
ねえ。」

ジーパンにスニーカーの写真家は不安気だったが、この
高級クラブの感じこそ陽介の狙いなのだとわたしは答え
た。

上るとしかし店には客の姿は一組もなかった。女の数も
減っているようで、その数少い女たちが寄って来て勝手に
酒をとりよせ、なんだか気勢も上らず白けた気分で酒をす
すっていると、そこへマダムが現れた。相変らず花の咲い
たようにあでやかなものの、以前の勝ち誇ったような驕慢
な感じはなく、どことなく険のあるふうであった。彼女はわ
たしを覚えていると言っていたが、旅先のラフな恰好のわ

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