る。いまは生きているか、死んでいるかわからない大の 仲間のこともむろんかさなるのだけれど、とりわけて、任 った馬にひきずられて、綱を両手でもったまま泥んこで水 田へ消えていった神岡二等兵の顔は、淋しく思いかえされ ところで、私はわがままに病院を出てしまって、東京へ 私は正月すぎからなぜか極度に体重が減った。京都では 付添うた病人につかまってしまって、気前のいい人ゆえ、 少しでも陽気がよくなったら、京都へゆかせてくれるよ 三月もすぎていって、四月に入ってまもなく、品川の桜 うぐらいのことはわかっていたが、忙しいつるさんを無理 にさそってもという思いがしたものだから、私はひとり で、入院の翌日、リハビリセンターの登録をすませ、いち おう看護婦さんや、主任さんにあいさつしておいてから、 醍醐へ散歩に出た。むろん万歩計をもつことを主治医から すすめられた。 去年にくらべて、用心ぶかいせいもあって、私の足はい くらか遅かった。病院うらから、リハビリセンターのあい だの埋めたて道路をまっすぐに東へ向うと、しだいに勾配 になってゆくのだが、建売り住宅街をすぎると、すぐ奈良 街道に出た。そこは、日野法界寺と醍醐寺の中間あたり で、十字路へくると、「左醍醐寺、右法界寺」とよめる古 S石標が立っていた。鴨長明が住んだ庵跡はここから山へ 約一キロ登りつめた先に在るとの標示もあった。私は奈良 街道を北へ向って、両側の古い町家を眺めながら歩き、昔 はなかった三宝院駐車場にきて、大型バスや自家用車が、 ぎっしりつまった広場に、観光団体や個人やのグループが そこここで大声をあげてよびあうけしきを見た。駐車場を 出て左手のつき当たりに三宝院がある。その方角をみる と、ここも人の行列だった。さすがは天下の桜名所。四月 十五日は花も真っ盛りなのである。私は私で、ちょうど、 五十年近い前の春に、馬をつないだ日頃をえらんできてみ たのだが、駐車場から参道へ出たとたんに、重たげな花を くも前のことゆえ、そのころの木は枯れて子が育っている 私は門前の枝垂れのことなども山根さんにくわしく聞い 石田町をすぎて、例の「おくりす灸」の寺本さんの台地 でいる桜の木と駐車されている車や、草の生えた道肩をの こして舗装されている土堤道を、毎朝登校してくるであろ う子供たちのことを思いうかべながら桜の下を歩いたのだ った。窓をあけた部屋もあった。カーテンまで閉め切った 部屋もあった。古い三階のアパートに、「トドさんと住ん でいます。」とハガキにもあった山根さんの棟番号はわか らない。たぶん、土堤から見える部屋にちがいなかろう と、一、二階の窓のほとんど閉め切ってある低地に向っ て、歩いてゆくと、水の少ない山科川のえぐれた水面に、 小紋のような花びらがういて、水は反物のように南へうご きはしめた。その岸の斜面を、手をあげた五、六人の子供 らと、山根さんが走ってくる光景が浮かんでは消えた。染 井吉野の垂れた枝の間から、花びらが雪のように散るのを 眺めつくして私は病院へもどった。 |