ページの画像
PDF
ePub
[blocks in formation]

偶然はかさなるものだ、という定まり文句を、若かった頃は―僕か本当に
若かった頃はもとより、さらにしばらくは根拠はないが確かによく起るこ
と、と捉えていた。ところが いまは、それを動かしがたいことと感じている自
分に気がつく。生きることのつみかさなりの傷やらしみやら、あるいは喜びや
らの総量が、かさなる偶然に対して確かにこうしたことは起るものだ、という
納得をあたえている。

最近僕は、二十歳から足かけ二年間も家庭教師をした繁君の消息に接するこ
とができた。そのしばらく前、日本における高い水準のサル研究を展望する浩
海な本を読んでいた。筆者は科学通のジャーナリストで、徹底して広く深く資
料を読みこんでの学者へのインタヴィユーは、闊達でしかも思慮深い個性に柔
らげられてはいるものの、問いかけられる側にとってしばしば辛い時もあった
だろうと思わせる。ひきこまれて読み進むうち、サルの群の父系の血をさぐる

[ocr errors]

なぜ一度も読みなおしてみなかったのか? 「僕が本当に
若かった頃」を書くことをやめてしまったきっかけの心の
傷がむしろそれまでに書いていた部分としっかり結びつい
てよみがえりそうだったから、といまでもただぼんやりし
たことをいえるのみだが......)

心の傷とは、繁君が僕はもとよりその家族や学校とも
を切るようにして日本を出立するきっかけとなった出来事
とのつながりによっている。しかもその心の傷は、すぐに
も不幸な出来事が起ることなど思いもせず、勢いこんで当
の小説を書き始めた時から胎児のように育っていたも、
後になって思い出すたびに感じられた。

さて僕がサル学の盛衰ーといっても新しい興隆がそれ
に続いている様子だけれどもーを魅力的に語る書物をき
っかけに見出した繁君の名を、あらためてそれも「僕が本
当に若かった頃」に直接結びつけて確認することになった
のはこの夏のことだ。僕は来年の五月ウィスコンシンにあ
る大学に話をしに行くことになっている。学期問の休暇を
利用して日本旅行し、ついでに打合せに来られた大学のア
ドミニストレーションの責任者が、実務的な確認の終った
後、こういう話を持ち出された。

―生化学の分野でDNAフィンガープリント法という
ものがアメリカを中心に発展したことはよく知られていま
すが、私の大学にそのための基礎研究に功績のあった日系
アメリカ人の教授がいます。かれはシゲと呼ばれていて、

ンス語の助教授から繁君のお母さんに紹介されて、週に三 日九品仏の家に通うことに定まったのである。

僕には年齢も近接している高校生を教えるための訓練な
どなかった。しかし浪人までしてみがいた受験用の知識は
残っていた。あわせて僕には当時奇妙な「方法」への固定
観念があって―いまも自分の小説への批評におなじこと
がいわれるたび、われながら雀百までも思う――、案出
した勉強の「方法」を年下の相手に用 い てみたいという気
持があったのでもある。僕が傭われたのは、はじめ一学期
間の契約で、繁君の成績がその間に上向きのしるしをあら
わさなければ、契約は更新されない。ーこんな約束は、
冗談だと受けとってくれ、子供がきみに気を使って努力す
るかと、先方は期待しているんだろう、と紹介者の助教授
はいわれたのだったが....

僕の「方法」の根本の発想は、すべての基本的な勉強は
文章に書くことで進めることができる、というものだ。む
しろ国語については問題集をやるだけで予習も復習も見
ず、そのかわり外国語はもとより世界史、日本史も概要を
文章に書いて記憶してゆくし、化学や物理の問題を解く際
も、原理や数式のとりあつかいをやはり文章にしてノート
に書いてみる、というもの。それが数学についてまで有効
だとなぜ自分が考えていたのか、いまとなっては説明する
ことができない。しかし当時の僕はこの方法について強い
思い込みを持っていた。

た。それも口に出してブツブツつぶやく仕方だったから、
駒場の生活の基本となるフランス語未修のクラスに四、五
人はいた女子学生から挨拶すらも返してもらえぬ、気味の
悪い学生となりおおせたのである。助教授はそうした自閉
的な学生が本郷へ進むにあたっての心理的な救助策とし
て、家庭教師の仕事をあたえてくださったのかも思う。
息子が高校生の時、はたしていまの自分があの頃の自分を
家庭教師として迎え入れるかと、繁君およびその御両親に
二重、三重の申しわけなさを感じたことがあった......

さて僕の「方法」に対して、繁君は当然ながらおおいに
抵抗した。最初の日はそれをめぐる論争に終始したほど
だ。文章題の数学の問題を苦労して数式化し、もう計算し
さえすれば S S段になって、あらためてその解き方を文章
にしてみるのはムダな手順だと、いま思えばじつに正当な
ことをいいはって。それに対して僕は、これはむしろ文科
系の勉強だ、きみは理科系の頭の持主のようだから、それ
と文科系の思考力とのバイブを作りた い のだ、と説得し
た。結局折合いがついたのは、授業の日ごとにある科目で
一題だけ僕の「方法」の宿題をやり、授業の前半その文章
を検討して繁君が本当に理解しているかどうかを見る、と
いう仕方におちついたからである。

ところが繁君に関するかぎり、僕の「方法」は正解であ
ったのだ。家庭教師を始めたのは繁君の一年生の新学期か
らだったが、文章化して徹底的に頭に入れた問題がいくつ

かしもともと冗談のつもりで書いたんですから....

|いや、いや、先生、そのような才能は貴重ですよ、 冗談半分にしてしまってはなりませんよ、と知的な牛のよ うな眼でこちらを見すえて、繁君のお父さんはいわれた。 しかし先生は冗談でなにかやるようには見えず、小説を書 く人にも見えませんな。......中学か高校の先生に見えます

よ。

ーまた思いつきを!と父親に向けて手のつけられぬ
ほどのしかめっ面をした紫君がきびしい声を発したので、
その話がさらに展開することはなかった。最初の一学期の
うちになんとか繁君と自分との間に意志の疎通が生してい
るのだと感じて、僕はしみじみと嬉しかったのだ。

僕の「方法」の評判は、こうして家庭のなかで確立され
たのみならず、その外側にまで伝わっていった。ある日緊
君と、僕のシステムでの解析Iの宿題を検討していると、
三十五、六歳の目立って高くきれいな額によく似合う五分
刈りの人物が、これもまた時代を超越した感じの茶色の詰
襟を着て応接室の入口に立ち、いかにも懐かしげに繁君を
眺めていた。幼なく突っばって無視している繁君のかわり
に僕が顔をあげると、それでも、君を見つづけていた眼を
ゆっくりとこちらに向けて、その人は甲高いような澄んだ
声をかけてきた。

ーーきみは独特なシステムを作って教えるんだそうです ね、姉から聞きましたよ。私が繁君の成績を上向きにさせ

« 前へ次へ »