なかったのに: 繁君はバッと肩を振りたてるようにしてふりかえると、 黒ぐろした眉を極端にしかめて靖一叔父さんを睨んだ。 ―許可も受けずに、他人のテリトリーに入らないでく ださい! ー...しかしもともとあれは私の部屋で、本がそのま ま置いてあるから。 |靖一叔父さんはもう専門の学問とは縁を切った、あ |繁君にも用のない本だしね、きみが自分の勉強をす 応接室の扉をしっかりと静かに閉して叔父さんが玄関の あの人は小田急沿線の玉川学園前で山羊や鶏を飼っ していたわけだ。身体つきはもとより、父親ゆずりの大き さらに新時代への傾向を示す指標として、繁君には自動 繁君は高校の「カー・デザイン同好会」の先輩をたどり 繁君はもともと理科系の頭の持主で、それまでとくに多 の心はもとより 運ぶ に車を乗っ シリアスな ンが出て来る映画の原作となりうる る必要があります。そして見たこと、やったことを書くん 繁君はこういう基本方針にそくして、小説に実現するた です。車はね、この前ちょっと顔を出した靖一叔父さんが めの人物とブロットまで考え出していたのだ。僕は繁君か 甲虫型のフォルクスワーゲンを一台持っていて、自分では らまず原理としての考え方を聞かされるうち、ともか もうそれに乗らなくなったものだから、......歩くのが好き く本来の仕事もやろうよ、と授業を始めたが、それが終っ で、歩く哲学ということを考えていると母にいっていたそ て食堂に準備されているふたりだけの夕食をとる際に、あ うですが、いつでも無料で貸してくれます。それでふたり らためて繁君の話す小説の構想を拒むことはできなかった の若者が出発して、どんどん遠方まで走ってゆくんです のである。 ふたりの 運転席、助手席をすりかわる離れ業を演じたことがある。 高三になれば本格的な受験勉強に入るわけで、今年の夏 休がいまのところ唯一のチャンスだから、勉強のための合 宿がわりにKさんと車で北海道へ旅行したいと父親に話し てきたが、今時まる一日ずっとつきそってもらえる家庭教 師は得がたいと母親も援護してくれて、とうとうOKが出 た。Kさんの自動車教習所の授業料といくらかの日当はお 払いするので、免許を取っていただくよう母親もお願S に 来るはず。Kさんは成功する小説の取材、自分は念願の大 平原を走る旅ということで、この計画はぜひ実現させたい 繁君はいったんこの発想を抱いてしまうと、自分の思い 込みどおりに企みを貫徹しないではすまさぬ執着ぶり。僕 の方では家庭教師の日にはその日の授業のことしか話さめ ようにしようと予防線をはったけれども、繁君はそれを守 ったかわり、家庭教師のない日に大学へまで現われて僕を 説得しようとした。暁星高校の授業が終るとすぐ本郷まで やって来て、たいてい夕暮まで授業をとっている僕を協同 組合の本屋や学生自治会の立看板の並んでいるアーケード で待ちうけている。ぬかりなく高校の制服は脱いでいるも のの、やはりみずみずしい少年から青年への移りめの繁君 の容貌はきわだって、それを見つけるたび僕はつい微笑し 三十五年目とし、 まずはし ずだった。ところが、 試みた。その うとう僕は、北区西ヶ原の下宿 近くの自動車教習所に通うことを承知させられてしまった のだ。 さて僕は繁君のお膳立てに乗って、飛鳥山の見える町み かの、それも選界焼、揚介護ん。勘習所に通うは 自動車理論と交通法規 午後遅い教習所の教室に集ったおよそ職種も年齢も様ざ 松山で下宿していた高校生の頃、休みごとに森のなかの U.C. BERKELEY LIBRARY |