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た。そしてその段階ではしめて夏枝叔母さんだとわかった 人の声が、驚いても怯えてもいない穏やかさで座ってきた のだ。

ーあなた、誰? ......繁君の家庭教師のKちゃんな
の? きみはもう帰ったのだと思っていたわ。

それから夏技叔母さんは、さすがにさきよりはこちらか
ら距離をとって身体をあお向けに横たえ、眠りつづけよう
とする様子。その時、思っても見なかった言葉が自分の口
から出ていた。

ーそれでは、やりますか?
夏枝叔母さんは平静に横たわりながら、僕がいったこと
を一瞬、二瞬、検討してみる具合。そこで僕はさきに彼女
の恥毛にふれていた掌を自分の下穿きにもぐらせペニスに
さわってみた。ところがそいつは雀の雛かなにかのように
縮み込んで、それも雨に濡れて弱っている雅とでもいうよ
うにピクリともしない。しかも僕は確信をこめてのように
さらにいっていた。

ーやりましょう、せっかくの機会だから。

-嫌よ、私は靖一さんを気の毒に思うから、あの人を 知っている男とはやらないの。 僕は安堵の思いとともにクックッと笑っていた。 どうして笑うの? あなたの答えが正しいから... 本当に優秀な家庭教師らしいわねえ。

その翌週の土曜日には、僕は自分が予備校に通う一年間
で作り、棄てないでいた消書された授業ノートを肩かけカ
バンに詰めて、新宿駅で繁君と待ち合せた。そして律義に
往復切符を二人分買ってくれた繁君と急行の小田急電車に
乗り込んでいた。

いったん町田まで急行で行き引きかえした玉川学園前
で、目ざす靖一叔父さんの住居へは、思いがけないほど都
会的な駅前の表通りをぬけると対照的に鄙びた集落となる
街すじから丘陵をなす斜面を登らねばならなかった。その
上で谷に降りて舗装されていない道を進むと、片側にだけ
小さな家の並ぶなかに、整理されているが草は刈ってある
ともいいにくい空地を前庭にした、洋風の平屋建てが一軒
だけめだっていた。繁君はその家のガラス戸を勝手に開け
ると左側が住居になっている広い土間を突っ切って裏へ出
て行くのである。

そこには降り斜面の長方形の地所が両側を雑木林に限ら
れ、向うの辺を葛のからまりあった藪にさえぎられて二百
坪ほど展がっていた。わずかな野菜畑があり、山羊小屋が
頑丈な木柵に囲まれて、背なかあわせに鶏小屋もある。斜
面の草原を五頭の山羊とトサカと頭、顔、足先が真黒で、
そのまわりにこまかな白い羽毛が柔かくかぶさっている小
柄な鶏が散らばっていた。

たかたは郵里の造り酒屋の間に似て、建英のその
平屋がじつはしっかりした農家跡に建てられたのではない
かと僕は感した。一間きりの第一叔父さんの居室は、土間
と反対側のガラス戸に面して坐り机が置かれ、その上に洋
書と辞書の類が載せてあるほか、他の持ちものはすべて押
入れにしまわれて―絶対量も少ないのだろうがー、ま
ったくガランとした部屋だった。僕らは板間の上に張りめ
ぐらしたゴザの上に、繁君が上半分曇りガラスの板戸を開
けて運び出した座布団に坐った。繁君が提げて来た土産の
包みをやはり並びの板戸の向うにしまってから、靖一叔父
さんは両手を膝に正坐してこちらに対された。

|姉がくれる缶詰類で私の蛋白質の補給は充分なんだ
ね、山羊の乳もあるし。それと高等学校の友人で新しい食
品の開発をやっている男がね、味のついた中華ソバの素材
をフライにしたもので、お湯をかければ食えるやつに力を
そそいでいるんだ。麺にはちゃんとオンデュラシオンもあ
るよ。あとで試食してみよう。それで炭水化物は足りる
し、わずかながら野菜も自給しているしね、ひとりだけの
暮しなら、もう無限の永さ生活してゆける感じだね。

―鶏の卵もあるでしょう? うちの母にくださるけれ
ども、自分では食べないの? あの小型の鶏の、チャボ
の?

|烏骨鶏。毎週、あれの卵を買いに来る人がいて、そ れが私の唯一の現金収入だから。お宅に持って行くのは、

いた繁君が、たちどころにひとつデモンストレーションの
ブランを作りました。あれはきみのオリジナルだからね、
Kさんに聞かせてくれよ。

|靖一叔父さんが陸軍少尉の軍服で、二頭の山羊に中
国の農民の恰好をさせて、靖国神社の境内まで引っぱって
行くんですよ。見物人が集まってきたら、竹光だと思わせ
ておいた日本刀で山羊の頭を切り落してね、天皇陛下万
歳! と叫ぶんですよ。

靖一叔父さんは自分も新しいことを聞くように繁君のブ
ランに耳をかたむけながら、皮下脂肪のまったくついてい
ない 日灼けした顔をズズ黒いふうに紅潮させていた......

しかし靖一叔父さんはそれ以上繁君の話をフォローする
ということはせず、計画していた夏休の旅行中の授業につ
いて聞かせてくれるよう僕にいったのである。僕は途中で
宿泊する場所で一緒に勉強するのみならず、繁君とのドラ
イヴの間お互いにノートを声をあげて読み、一問一答する
かたちで授業をすすめたかったのだと話した。靖一叔父さ
んはあらためてもとに戻ってゆく顔で僕のノートを丹念に
見ながら、それが五色の鉛筆で傍線を引いたり枠を囲んだ
りしてあることをいかにも「新世代」の発明だと賞めてく
れた。僕はお互いに読みあげるというところで、繁君が運
転する場合のことをあらかじめ認めているのへ、靖一叔父
さんがなにか留保条件を示されるかと気がかりだったのだ

が......

山羊は?
ーいつまでも山羊を飼って暮すわけにはゆかないよ、
と靖一叔父さんは妙に冷淡な様子で、連中を見渡しながら
いったのだ。

繁君は僕を玉川学園前まで引張り出したことへの返礼を
意図していたのかも知れない、僕がどのように成功する小
説を書くかという話を持ち出して、靖一叔父さんもこの話
題に乗って来られた。

あらためて僕は駒場の学園誌に発表した小説が冗談のよ
うに書いたものだと繰りかえしたわけだが、靖一叔父さん
もやはりその弁明をたしなめて、冗談のつもりなら止めた
方が SS、小説はあらゆる作家にとって切羽つまったほど
の制作なのだから、といった。魯迅の作品を読んだことは
あるか? ユーモラスな書きぶりとして『阿Q正伝』があ
るが、しかしどこに冗談の筆致があるか? きみも本当に
書きたい主題があったからこそ、あのように試作品をやっ
て準備したのではないか?

僕は思わず本音をあらわして、確かに自分にも真面目に
書きたい小説はあるが、どのように書けばいいか見当もつ
かないので、冗談めいたファンタジーの小説を書いてしま
った、と答えていた。

どういうものを書きたい? それはテーマとしてあ
るの?それとも物語とか場面のイメージとかいうよう
な、具体的なものとしてあるんですか?と繁君が口をは

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