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も、そのお母さんから戦闘で外国人を殺したら、その血を
蒸しパンにひたして持たせてくれ、と頼まれる。子供のお
薬にするために。まだストレプトマイシンの製造の手引
きが日本の製薬会社にあたえられていない時点のことで

戦闘は失敗してこちらが傷ついて、語り手はあずか
っていた蒸しパンを自分の腹から流れ出る血にひたして若
いお母さんのところへ届けさせる、という話。

これも成功する小説になるかも知れないね、Kさ
ん。そういう話もまだ日本では書かれてないでしょう?
靖一叔父さん。

もとは魯迅にあるけれど、日本にはないと思うよ、
私は中国から送還される船で帰国すれば内戦に参加させら
れるかと思っていたんだ。しかし蜂起したゲリラが占領軍
を襲うというような事件はいっさい 起らなかったからね。
それだけ、小説に書いたにしてもリアリティーがなくて、
とても繁君式の映画になる小説はできないなあ。

そうなれば繁君は現金なもので靖一叔父さんの話に興味
を失ない、今度はかれ自身が考え進めているわれわれの小
説のための着想を話した。小説の前半はあれこれあってつ
いに北海道に到った若者たちが走りに走る喜びのシーンま
で。それは充分に映画的であるだろう。

―しかし映画をジ・エンドに向けて進めるには、ひと
つねじれが必要なわけね。若者ふたりの年下の方をA、年
高の方をBとすると、AとBが一度仲たがいして別れてし

いうひねこびた構想を持っていたとはなあ、その若さで不
幸な話だねえ..... Kさんも、これではやりづらい時があ
るでしょう。やはり北海道への同行は自分の仕事だねえ、
ともういちど先ほどのズズ黒いふうな紅潮をあらわして靖
一叔父さんはいわれた。

この日、夕暮れてもむやみに明るいオレンジ色の雲の波
立ちが胸をかきむしるような空のもと、駅に向って歩く
間、僕と繁君はお互いの顔を見ないで黙ったまま肩を並べ
て行ったものだ。それでも僕はやはり本当に若かったので
あり、帰り道それも急行電車に乗りかえてからは、靖一叔
父さんの小説のブロットを自分の郷里の村の地形にあては
めて、神社の森の高みから占領軍と警官隊に銃撃を加える
男たちのことをずっと思っていた。

神社の森には森全体の奥へ通しる間道もあり、襲撃が不
成功であれば撤収することも容易だ。しかし銃撃戦で傷つ
いてしまえば、いったん谷に降りて県道に沿った川の洗濯
板のような岩が並ぶ大梁で傷を洗い、救いの者たちがやっ
て来るのをみで待つほかあるまい。
その負傷した少年が僕だ。結核の進んだ子供の母親から

ずかっているのは蒸しパンでなく、村でも作る中華風の
饅頭―僕は魯迅の『薬』にさらに直接ひきずられていた
のである―、それを自分の傷ついた腹からあふれる血に
ひたして通りかかった子供に持って行ってもらう。四個託
したのだが、そのうち汚れを水に洗われてふやけた饅頭が

ている、と僕は留守宅からの電話で聞いた。こちらの驚き
はそれとして、感情的な言葉は受けつけぬ口調の繁君のお
父さんは、もし新聞記者が訪ねて来ることがあっても、繁
君からの葉書、手紙の類は決して見せてくれるな、北海道
旅行の具体的な話は一切しな い のがもっともいい、といわ
れた。それは一度だけ会ったことのあるこの人物の明るく
張りのある朴訥な声音と話しぶりとは似ても似つかぬ、権
威をともなって一方的に押っかぶせて来る電話だった。繁
はそれが可能となれば東京の病院に移す。秋になって上京
された上であなたの下宿あてに連絡するまで、御心配では
あろうが静観していただきたい。いまの段階では繁のため
にやってもらえることはなにもありません:

事故の記事は新聞の全国版にも出た。僕が驚きとともに
見出したのは、運転していたのが靖一叔父さんで、しかも
かれが飲酒運転をしていたということ。もうひとりの死者
は身許不明の女性とされていたが、僕には見当がついたの
である。繁君の絵葉書にヒントが示されていたから。事故
の相手の、イカを満載した大型トラックの運転手は軽傷と
いうことだった。

繁君の絵葉書には、東京出発以来かれがつねにハンドル
を握っていると書かれていたのだ。靖一叔父さんはいまの
ところ旅館でもよく眠れぬ模様で床に腹ばって少しずつ酒
を飲んでいる。悪S夢にうなされて同じ部屋に寝る自分
驚かせぬよう眠らないでいるのかも知れない、とも繁君は

それにしても、と僕は大きい海いに押しひしがれるよう
であったのだ。決して役に立たぬ無用な悔いに。もし自分
が同乗していれば、こちらは飲酒運転をせぬわけだから
|夏枝叔母さんのアパートでは泥酔してしまったが、そ
れからあと一滴も飲酒していない―この事故は起らなか
っただろう。それは自分に運転免許がとれていたらという
ことで、さらにそれは高校の下宿先から村へ帰る途中、気
まぐれにはじめて降りた町で子供らの石礫攻撃を受けてい
なかったならばということになり、過去のやりなおしのき
かぬ事柄へのやりなおしへの思いを強い感情において迫る
ものだった...

秋になって僕は上京した。すでにお母さんの手紙で九月
中旬には繁君を東京の病院に移すからその段階で見舞いに
来てほしいとつたえられていた。それまでは本人に連絡を
とろうとはしないでもらいたい とも、手紙には書かれてい
た。それは僕が森の中から出した、靖一叔父さんの死を悼
み、ともかくも繁君が生命に別状なかったことを喜ぶとい
う、じつに書きにくかった手紙への返事だったのだが。下
宿に着くと、電話番号がわからぬということで直接訪ねて
来られた夏枝叔母さんからーーあの酔っぱらったパーティ
1の後、これも書き辛いおわびの手紙を出して返事はもら
えぬままだったけれど、その住所はメモしておられた様子

|帰京次第すぐ連絡してくれという書き置きが残されて いた。

わ...... ー靖一さんはなにも達成しないままで残念だったけれ そこでね、お義姉さんに頼まれて私からおつたえするこ ども、死んでしまったものは仕方がない。あんなに苦しく. とですが、私も繁君にいちばん影響力がある人はあ の 生きていたんだから、むしろホッと肩の力がぬけたろうと ように思います。あなたのことが自慢で、あなたに成功す も感じるのよ。戦車のようなトラックの野蛮な運転手に車 ふ小説を書かせろよう自分も奮闘するんだといつもいって

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