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飛び出して、沈鬱な夏校叔母さんを一キョトンとさせ

た。

――亡くなった身許不明の同乗者は、仙台の川岸で屋台
を出していた女性です。礼文島出身で、二十歳から三十五
成くらいの年齢で...... 身許がわかれば補偵の問題が出て
くるでしょうけど。繁君が運転していたことを秘密にしと
おすとなると、お宅に請求がまわってくるのじゃないです
か?

・その時は義兄がやるだけのことはやってくれる
と思うわ。玉川学園前の土地も、あのあたり宅地化が進んで
資産価値が出てきているし、その年齢幅の広い身許不明の
女性には相応のことができるでしょう。繁君が運転してい
たとはいっても、免許証を持って同乗している大人には監
督責任があるはずよ.......

この日の午後訪れた九品仏の家で、繁君のお母さんが僕
に話されたことは、夏枝叔母さんの話にましてこちらを緊
張させたのだ。

―繁は、あなたに軽蔑されるのが恐くて、自分が運転
していたことを頬かぶりすることができないという気持で
いるのではないでしょうか? 事故の前にあなたにさしあ
げた手紙のこともずっと気にかけています。それで主人が
ね、繁のさしあげた手紙やノートを買いとらせてもらえな
Sかといっていますが...... 靖一さんがあなたの授業ノー
トをあずかっていたのに血で真黒になってしまいましたか

特別病室の番号を教えられ面会時間まで指示されて、翌日 僕は、君を見舞いに行った。繁君もまたその時間に僕があ らわれることを予期して、ずっと身がまえていたのだと思 う。開かれたままのドアの前に立ち、ノックすべきかそう でないか僕がためらっていると、繁君はそこから見通しの きくところへ大怪我の気配は感じられぬいわば内臓疾患の 恢復期の患者のような顔を、胸もとまで毛布にくるんだ恰 好で突き出した。その顔がたちまち血の色を失なって乾い た白い紙のようになる。そして室内に入って行った僕がそ れ以上ベッドに近づくのを声音で押し戻そうとするよう に、繁君はせわしげにしゃべったのだ。

言葉通りじゃないかも知れないけど、Kさん、自分 にはかれを審くつもりはないと母にいったそうですね。れは当り前じゃないですか? ......あれは靖一叔父さんと 僕とふたりの間の問題ですからね。僕は霊魂の不滅を信じ ないから、ふたりの間の問題ならば、片方がいなくなれば 問題も消滅すると思いますよ。Kさんがね、深刻そうな顔 をしてシャシャリ出る場合ではないのじゃないですか? 死んだ女の人の身許の手がかりだと、夏枝叔母さんに僕の 手紙のことを喋ったそうですね。成功する小説を書こうと して材料を検討しはじめているということですか? せっ せとおやりになったらいいですよ。二人組の若い方は、A はひどいめにあったけどもBは無事で、ほとぼりがさめれ ばしみじみ回想することもできるわけで...... そういう始

半分は冗談で車をむやみに加速して森かしたら、あ の人は話したんですょ!これまでは友達のことだといっ ていたのに、自分こそB級戦犯で死刑になっても当然だと いって....

僕は妙にノロノロひきずるような発声としての自分の声 をいまも思い出すのだが、次のように応していた。

―しかし礼文島出身の女の人の方は...... こちらを見かえした繁君の立派な大人の顔になる造作が 発育途中でネジ曲ったというふうに幼なくベソをかいてい る表情に、僕もまたそれから後の学生生活のみならず、永 い年月を跨らされてきたことを思うのだが......

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《われわれの学長から、日本風にいえば挨拶をするように 頼まれていました。大学の費用で国際電話をしてはどうか ともいわれたが、それのみでなく手紙にもなかなかとりか かる勇気が出ませんでした。しかし来年の五月には直接会 うことになるわけです。それまでに自分に責任のある相互 間の永S 空白を埋める、ということはできないにしても、 わずかでも情報をかわしておきたいと思いたちました。そ れでも大学のオフィスで、あるいは自宅で手紙を書こうと してみると落着かない気がする。たまたま学会で一週間バ リに滞在することになり、そこで帰国するまでにこの手紙 を書くことを自分への義務にしました。いやいやながら書

えられない。そこでこういう書き方になっています。

さてこちらへ来るジェット機のなかでも、Kさんに書か
ねばならない手紙のことを考えていました。そのせいで僕
の観察力が科学研究者の眼から小説家の眼に近づいたの
か、これまでにないものを見たのです。雲に。しかし雲の
上を飛ぶ際の、真上からの雲の見方はおかしなものだね。
下方を弼雲が覆っていると見る場合も、それは雲の裏側を
見ているわけで、裏側から見た雲にはそのための正確の呼
び方があるのだろうか?

ともかく僕は夕暮のせまっている空の下方に黒い羊の背
のような雲の列を見ていたんだが、その脇の雲にスッポン
の体腔のなかの脂の粒つぶのかたちと色艶を見出した。そ
してボストンで貧しい大学院生の暮しをしていた当時、寮
の裏の池のスッポ ンを獲っては食っていたことを思い出し
たのだ。なぜアメリカでスッポンなどをといえば、寮の地
階の洗濯室から出て行ける芝生の、行きどまりの池にそれ
が群棲して居たから。誰も捕まえず、僕が食う程度ではか
れらの生態系に影響しそうになかったことと、ハワイの大
学からいったん日本の大学へ、それも東大へ入りなおせと
いう父親に抵抗したので仕送りをさしとめられていた。お
かげで栄養が不足している、ということもあったからで

す。

パリに着いてコンコルド広場の脇を歩いていると、ほと んどの樹が紅葉を終えているマロニエに、全体に小ぶりな

いたのかも 知れない。そこがアメリカであれ、「アレ」を やった人間に恐いものはないんだと: 「アレ」と僕とはじつに永年共生したわけで、人生につい ての、またこの世界についての僕の理解は「アレ」をつう して構築された。つまり僕は「アレ」を経験し、「アレ」 のことを思いつづけるためにのみ生まれてきたと

スッポンのイメージによく出会う旅だとあらためて考え
てみると、それもKさんに手紙を書かねばならぬ気持につ
ながっていたはず。あなたに手紙を書く以上、「アレ」に
ふれなければならないし、「アレ」とスッポンを殺して食
っていた自分のふるまい

を入れて一週間抱っておく、泥くささをとるために。さ
て、一週間の検疫でスッポンの裏側は真白になっている。
頸や肢の出し入れにつれて、そこが赤ん坊の胸のような柔
かい抵抗感でふくらんだりへこんだりする。そいつを摑ん
で頭を切る。それに始まる血まみれの手仕事が自分にむい
ていると、なにものかに見せびらかす気持で僕はそれをや
っていた。なぜなら自分は「アレ」をやった人間なのだか
らと.... 「アレ」をやった人間が自分だということをい

いる樹があった。それを見あげてまたもやスッポンを思い 出しました。ナイフで解体して頸ゃ肢はもとより内臓の肉 も取り外したのを、甲羅ともども安い カリフォルニア・ワ インと水で煮る。そのうち上の甲羅のへりが柔らかくな る。それもナイフで削り落して食うんだが、そこでの残り

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