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次の日には、発ってそれきり帰ってこない相手と知って いるせいか、子供の目から眺めても酒を飲みながらなのに いつになく陰気な様子だった。

その内に突然克己が、
「この戦争は負けるだろうな」

といった。親父たちの方が驚いて、たしなめるというよ
り叱るようにいい返したが、
「だって、俺たちみたいないい若いものをこんな死なせか
たするようじゃ、もう終りだよ」

さらっといった。
「じゃあ、なんで志願したんだ」

親父は相手の父親の気持ちを計るようにしていったと思
います。
「だって、誰かがやらなくちゃならない仕事だものな」
「いや、この戦争は負けはせんよ、絶対にな」
「そう祈っているよ、向こうからな」

彼は言い、もう誰も何も言わなかった。
私はその側で大人たちの秘密をうかがうように、聞かぬ
ふりをしながら、聞いていました。というより、その時の.
彼等の会話でなぜかそれだけを覚えています。

そして、克己はそれから一月ほどして第何次でしたかの
特攻隊として出撃していき、沖縄の海で死にました。その
時の新聞の切抜きを今でも持っています。その頃では、特
攻も何度も繰り返されていて大方の日本人には珍しくもな

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ってみんな次々に射ち落とされてしまう。既めていて胸が
痛くなった。それでも、最後の一機がなんとか相手に命中
する。それとて大した損害は与えはしないが、みんなはそ
れでどうにか救われたような気がしたものです。期せずし
て拍手も起こった。

学校でその話をしたら、映画の他に娯楽のなかった頃だ
し、たいていの者があのニュースは見ていましたが、ある
奴が同じ映画館であれを見て拍手した客が、誰かがMPに
いいつけて連れていかれたとも言っていた。なにしろ映画
によっては、ある連中が映画館の中で赤旗をふりインター
を歌いながら見ているような時代でしたから。

あの教師もそんな時代におもねっていったんでしょう
が、私には克己のこともあってどうにも聞き捨てに出来な
かった。だから手を挙げて、先生私の従兄も特攻隊で死
ましたが、私は従兄が馬鹿な死に方をしたとは思いま
せん。彼は誰かがやらなけりゃならない仕事だと言ってい
ました。先生もそうは思いませんか、と言ったんです。

教師は嫌な顔をした。一寸の間教壇の上に棒立ちになっ
ていたが、変な笑い方をすると思い直したように睨みなお
して、
「お前はああいう突撃が無駄だったとは思わないか。今町
の映画館でやっているニュースを見てこいよ。みんな途中
で撃墜されてしまってるよ」
「俺も見ましたよ、でも最後に一機だけは当たったじゃな

てくれて強制転校になった。しかし、それで弾みがついた
ように、それから中学高校だけで五つ変りました。親の仕
事の都合でよく転校した小学校を加えると合わせて九つも
転校したというのは滅多にない記録でしょう。

最後の高校を退学になるまで、学生のくせにあちこち流
れ廻ったが、それで身につけたことも、子供なりの処世の
要領といえた。

生まれつきの性格もあったのでしょうが、どの学校へい
っても仲間内で問題を起こしてはよくいじめられました。
しかしこっちも段々に慣れてきてそんな関わりでの要領を
つかんだ。相手の中での一番を選んで闘う。苦痛を出来る
だけ短くすますためにも臆せずに夢中で闘うことです。相
手も人間だから殴り合えば痛いものは痛い。だから相手も
本気で和解してくるし、周りも一目おくようになる。

刑務所にいってからがつがつと手当たりに本を読みまし
たが、中でも印象的だった柳生流の極意の書に、子供の頃
の体験に照らしてみてもまったく同じことが書いてあっ
た。一の橋、二の橋、猿の橋などなど剣の構えとその極意
について記してあるが、しかしとどのつまり最後はすべて
相討ちとあった。相手も強いこちらも強い、となればすべ
ては相討ちという剣の極意、というか人生の原理でしょ
う。つまり、そう世れば明日は不要、今この一瞬しかない
ということです。

しまったような気分

れて両手で包むようにして態ってみたが、その頃かぞっと
するほど冷たかった。それでもそのまま他の親戚がかけつ
けてくるまで一時間ほどの間手で包んでいたが、その肌は
少しも暖かくなりはしませんでした。

一人娘だったし親からも頼まれて、短い葬式の後火葬場
までついていきました。遺体が快えている火の穴の中に入
れられるのは覚悟して眺めていたが、戦争中焼けた死体も
目にはしていたのに、二時間たって引き出された彼女がぼ
ろぼろの骨になってしまったのを見てショックを受けまし
た。眺めながら体が宙に浮いて漂っていくような、放心と
も違う、変りはてた彼女に重ねて自分が今どこにどうなっ
ているのかまでがわからなくなってしまったような気分で
した。

そんな自分をとりもどそうとして、日を凝らして眺めれ
ば眺めるほど、目の前にあるものは無残というか不条理な
というのか、信じられぬと思いながらもやっぱりこの通り
のことなんだと、自分にいい聞かせてもいい聞かせても、
一方の自分がどうにも頑なにそれをこばもうとしていまし
た。あれが私にとって生まれて初めての、無なるものに
ついての体験ということでしょうか。

私が当時の建設大臣川俣興三の新築したての豪邸を焼き 払ったのも、しょせんあの男が目に障りすぎたからです。

後に金権で天下を奪った田中角栄なんぞあのリに比べれ

身元の知れぬ私を建物の外まで引きずり出した後、男た ちはどうしたらいいものか思案ぎみだった。兄貴株らしい 男が他に連れのいそうにない私を眺めなおし、どこから来 たと質し、私はただ当たり前の市民だと名乗り、川俣がい っていることが嘘だから嘘つきといったまでだというと、 お前はこの町であの人に盾をついたらどうなるのかを知ら ないのかといった。 「どうなるんだ」と聞いたら、その瞬間囲んでいた奴らが いきなり横から蹴とばし後ろから殴りつけて逆らう暇もな く私を倒すと、手慣れたもので手を出した連中はそのまま 車に乗り込んであっという間に会場から姿を消してしまっ

た。

決してその遺恨なぞではなしに、しかしそれがきっかけ になり本気になってあの男のことを調べてみると、驚くほ どというより馬鹿馬鹿しいくらい他人を、要するに国民を 無視して目茶苦茶なことをやっている。それが衆知のこと なのに不思議に周りの誰もなにもいおうとはしない。その 頃はまだいた、やくざ者じゃなしにいわば本業の右翼の連 中も、彼等も含めて世間の側にいる連中を金と暴力で束 れていた有名な男が川俣の息がかりということでどうにも 動かない。

私だって自分の身は可愛いから、そんな事情を知ればこ とを斜めに眺めて過ごした方がましかと思いもしたが、最

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