んど喋らずにいました。それがかえって検察側を苛立たせ といってくれたんです。 こうした事件の後を絶って社会の安寧を計ろうというこ 私があんなことをやったのは、このままでは国家にとっ て一番基本の土台が蝕まれていくだろうことを見過ごしに 出来なかったからです。そしてそのためには、彼等のいう 女を犯すことでしか出来はしなかった。早い話、昔成功 してこの国をここまでにした明治の維新だって、しょせん 「今度の事件にも顔があるが、その目鼻の一つがどうも欠 しかしこんなくわせ者をこのまま偉そうにさせておけ どうだ、泥をかぶってこいつを一緒に食らいこんでくれ 検事はいい、私は事前の調書には一切応じないが、彼と 検事は同僚と随分相談したようですが結局、私のいった ある日突然検事から、彼から聞き取ったという調書を見 せら 裁かれるべきだといっていました。 その調書を見せた上で、 に膝ついておろおろ私を見上げる始末だった。 そこで検事がいきなり、彼の目の前に前回の調書を投げ て置き、 「この調書は、彼に見てもらったからね」 いうと、なんとか座り直した椅子からまたずり落ちて、 声を出すどころか息もつけぬありさまだった。 それを見てどうにもたまらなくなり、 まま答えられずにいました。 それ以来崎山とは口をきくことなしにきました。もちろ んそのおかげで彼の刑期は短いものにはなりました。 私も彼のいったことをそのまま認めていいと検事にいっ 後から聞いたところでは、崎山の父親というのはある県 控訴はせずに、結局十二年刑務所にいました。 当たり前でしょうが、中では歴姿では出来ぬいろいろな 経験をしました。願っていたように、許される時間の限り 手当たりに本も読んだ。しかしなによりためになったの は、世間では会えぬ人間たちに会えたことです。いい奴、 いやな奴、立派な奴、卑怯な奴、本当に頭の下がるただ偉 いとしかいいようない奴、いずれにせよ彼等はみんなはみ って過ごした十五年という歳月の意味というか、重さは彼 彼の話を聞いて私はそれまで以上に自分のやったことに よ。 はみだす人間、はみだす出来ごとがあるからこそ逆に、 あの五堂がいっていたように、天命などというおおそれ その他にもあそこではいろいろ思いがけぬ人間たちに出 会いました。そしていろいろ利口にさせてもらった。 株に関する大それた仕掛けがばれてぶち込まれてきた男 そう聞いて、あの時川俣の細君たちを庭に逃れさせるた めに雨戸を開けさせ、風が立ちこめていたガソリンのいき りを吹き飛ばしてくれなかったら、多分私もあの男と同し ように見られた顔ではなくなっていただろうと思いまし た。 途中、入ってから五年もしてでしょうか、あの時運転し 彼はいったが、 いいはしたが今さら崎山の身の上話でもないだろうとい |