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んど喋らずにいました。それがかえって検察側を苛立たせ
たようです。実際に私は控訴もしなかった。ついてもらっ
た弁護士が変った、というか妙な信念のある人で、後に有
名な冤罪事件を勝ち取った人ですが、私のいうことを逐一
聞いた後で、
「君は今までただふわふわと大事な人生を過ごしてきたん
だから、これをいい機会に中でじっくり座でち組んでよ
そでは出来ぬ勉強をやってきたらどうだね」

といってくれたんです。
やったこともその動機も明々白々ですから、検事たちは
ただことをけっして美化させまい、やった人間はただのち
んびらで浅薄な功名心にかられてのことという印象づくり
に懸命になっていました。

こうした事件の後を絶って社会の安寧を計ろうというこ
とでしょうが、しかしその安等なるものがいま在る国家あ
ってのことということを、彼等はどれほど自覚していたの
だろうか。ただ目先の安だけを守ろうとすることへの腐
心が、下手すれば国家そのものを毀損しかねないだろ

私があんなことをやったのは、このままでは国家にとっ て一番基本の土台が蝕まれていくだろうことを見過ごしに 出来なかったからです。そしてそのためには、彼等のいう 女を犯すことでしか出来はしなかった。早い話、昔成功 してこの国をここまでにした明治の維新だって、しょせん

「今度の事件にも顔があるが、その目鼻の一つがどうも欠
けている。それがあの男だと思っていたが、これを見ると
案外な気がしたがね。

しかしこんなくわせ者をこのまま偉そうにさせておけ
ば、君が腐敗矛盾に義貸してあの事件を起こしたところ
で、連中はどう変りもしないよ。あんな人物をこの際右翼
から葬ることが必要じゃないのかな。

どうだ、泥をかぶってこいつを一緒に食らいこんでくれ
ないか。おれは君よりもこんな奴の方が憎いんだ」

検事はいい、私は事前の調書には一切応じないが、彼と
直接顔と顔を合わせての上ならやりましょうといってやり
ました。

検事は同僚と随分相談したようですが結局、私のいった
通り、相手には知らせずいきなり私と対決させることにな
りました。その日、彼が尋問されている部屋に私が連れて
こられると、なんとも情けない ことに件の先輩は吸ってい
た煙草を指からとり落とし、立ち上がろうとしてよろけ

ある日突然検事から、彼から聞き取ったという調書を見 せら

裁かれるべきだといっていました。 その調書を見せた上で、

に膝ついておろおろ私を見上げる始末だった。 そこで検事がいきなり、彼の目の前に前回の調書を投げ

て置き、

「この調書は、彼に見てもらったからね」

いうと、なんとか座り直した椅子からまたずり落ちて、 声を出すどころか息もつけぬありさまだった。 それを見てどうにもたまらなくなり、

まま答えられずにいました。

それ以来崎山とは口をきくことなしにきました。もちろ んそのおかげで彼の刑期は短いものにはなりました。

私も彼のいったことをそのまま認めていいと検事にいっ
てやった。私について彼のいったことに反駁しても今さら
どうなるものでもない。裁判などという場で他人を介して
言い争っても、相手はどうかは知らぬがこちらの心にはい
やなものが残るだけです。あの先輩にせよ崎山にせよ、人
を裏切ると、ずうっとそれを背負って生きなくてはならな
いのじゃないでしょうか。私はそんな余計な荷物はまっび
らでした。

後から聞いたところでは、崎山の父親というのはある県
会議員の有力な後援者で、川俣に関しては大層批判的で、
息子のやったことについては、「よくもやった」といって
憚らなかったそうなのに、母親を虜にとられて崎山は結局
父親の心も失ったのかも知れません。

控訴はせずに、結局十二年刑務所にいました。 当たり前でしょうが、中では歴姿では出来ぬいろいろな 経験をしました。願っていたように、許される時間の限り 手当たりに本も読んだ。しかしなによりためになったの は、世間では会えぬ人間たちに会えたことです。いい奴、 いやな奴、立派な奴、卑怯な奴、本当に頭の下がるただ偉 いとしかいいようない奴、いずれにせよ彼等はみんなはみ

って過ごした十五年という歳月の意味というか、重さは彼
だけにしかわかりゃしません。わかるとすれば、私のよう
な立場であそこにいった人間くらいでしょう。

彼の話を聞いて私はそれまで以上に自分のやったことに
自分で納得出来る気がしました。お前は自分をやくざにな
ぞらえて満足し、やったことへの自負なり誇りはないのか
といわれるかもしれないが、そんな上っ面のことじゃなし
その下その底の底の、なんというのか、人間の世の中の仕
組みに関わることなんです。それがはみ出しであり、大方
の人間の人生には馴染まぬことであり、ひどい罰を食うこ
とだろうと、世の中には誰かが他の誰かのためにやらなく
てはならぬことがあるでしょう。またそれがなけりゃ、世
の中平ったいようで実は不公平だし、誰も救われません

よ。

はみだす人間、はみだす出来ごとがあるからこそ逆に、
大方の人間が安心してこもっていられる社会の枠が保たれ
ているのしゃありませんか。

あの五堂がいっていたように、天命などというおおそれ
た出来ごとだって、結局は誰か一人二人の人間がやること
でまず水口が開くんじゃないですか。

その他にもあそこではいろいろ思いがけぬ人間たちに出 会いました。そしていろいろ利口にさせてもらった。

株に関する大それた仕掛けがばれてぶち込まれてきた男

そう聞いて、あの時川俣の細君たちを庭に逃れさせるた めに雨戸を開けさせ、風が立ちこめていたガソリンのいき りを吹き飛ばしてくれなかったら、多分私もあの男と同し ように見られた顔ではなくなっていただろうと思いまし

た。

途中、入ってから五年もしてでしょうか、あの時運転し
ていった相原が突然面会にやってきて、これから当分イン
ドネシアに出稼ぎにいき、目鼻がつけば向こうに永住する
つもりだと挨拶していきました。その時思い出したよう
に、崎山は刑務所を出て今ではどこかの工場勤めをしてい
るが、町でばったり会った時私には顔向けならぬことをし
たと悔やんでいたと教えました。当然でしょうが、昔の仲
間は誰も相手にはしていなかったようです。
「なんだか腑抜けみたいになっていてね、あいつをしゃん
とさせてやれるのは、あなたしかいないような気がします
よ」

彼はいったが、
「そいつは土台無理な話だな。俺はこの先いつまでここに
いるのかわかりゃしないよ」

いいはしたが今さら崎山の身の上話でもないだろうとい
う気分だった。腑抜けになったのは自業自得でもう私には
関わりないことです。
「でもね、あの時下で見ていたけど、俺もあんなに綺麗な

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