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こまで来ると美奈子にこれ以上の嘘はつけなくなってきた
といわれてしまった。もの心ついた美奈子に周りは、私の
ことを大事な用事でずっとアメリカにいっていて不在なの
だと教えていました。だからあれきり顔を見ないまま成長
して字も書けるようになった彼女から中にいる私に来る手
紙には、私のことをアメリカのパパと記してあったし、私
もそのつもりで返事を書いていました。

しかし小学校でも高学年になると、父親が実際にアメリ
力にいっている仲間の子供の所へ来る手紙には見慣れぬ向
こうの切手が貼ってあるのに、私からのはなぜか同じ日本
の切手だというので、私の手紙を見せた美奈子に友達が嘘
だといったそうな。その時はどうつくろったか知らぬが、
だんだん今のままではすまなくなるだろうということだっ
た。それも私にはよくわかることでした。

しかし、となれば美奈子は完全に私から遠ざかり、今ま
で育ってどんな顔形の娘になっているのか確かめも出来ぬ
内に、彼女は私にとって幻のままに消えてしまう訳です。

しかし、その場で、
「長い間ほんとうにありがとう。まったく君らのいう通り
だと思う。だからもう二度と俺のことをふり返らずにいけ
ょ」
いってやりました。
しかしやっぱりあれが一番こたえた。中では話はすぐに
伝わるし、日頃周りに偉そうなことをいってた手前急にし

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姿です。

ともに無残と S えば無残な思い出の形見だが、サイパン
のそれは今ではすっかり遠くなったあの戦争を、水俣のそ
れは戦争の後この国に訪れたものを、特にあの中にいる間
に私には知れずに進んでいった変化を象徴しているように
思えました。

水の中に三十数年前に突っ込んだきりそのまま眠ってい
る小さな飛行機の残骸を眺めた時、大袈裟のようだが私は
水の中で嗚咽していました。この飛行機にこそあの従兄の
加納が乗っていたのだということを私はしゃにむに信じて
いた。乗っていた彼の体はもうどこにも残ってはいないに
せよ、あのまま今まで三十余年こんなところで一人っきり
でいたのかという気持だった。それに比べれば俺なんぞと
思った。周りの者たちには時代遅れの感傷にしか思われな
かったろうが、今浦島の私にとってはあの克己が戦って死
んだ戦争はまだそんなに遠いものではありはしなかった。

熊本では八代海の離島で代々医者をしている、仲間の本
家の伯父さんの家に泊まったが、そこで初めて水俣病なる
ものについて知らされました。刑務所にいる間に起こった
災害だけに詳しい話は知らずにいたが、聞かされてみると
恐ろしい話ばかりだった。

その家に薬をもらいにきた年配の体中が引きつったよう
な女の患者の様子が気の毒で、いったい何の病気かと伯父
さんに質したら、医者が声を潜めて、あれは実は水銀中毒

この国が今みたいに栄えるために、あの頃は国の花形の
商売だった薇雑を外国にまで売り出し国挙げて儲けよう
と、化学繊維を作るに欠かせぬなんとかいう薬物をあの水
俣の日本窒素の工場がほとんど独占して作っていた。だか
らこそそれを、工場の責任で海が汚れ奇病が発生している
ということでにわかに止める訳にはいかなかった。それで
原因を他のものにすり替えて見せ、そのまま目をつむって
の垂れ流しで災害はなおも際限なく広がっていった。

その間学者たちの調占研究会は、あくまで他の原因と想
定して調査していくうち逆に、原因はやはり噂の通り工場
の排水の有機水銀だとわかってきて、結局通産省はその報
告を握り潰し焼いてしまったそうな。大袈裟ではなし、私
たちが今こうやって考沢三味していられるのもあの町の人
たちが被った犠牲のおかげということでしょう。

町で出会った人たちの様子は無残というか悲惨というか
考えられぬものばかりだった。一家七人の内、祖父祖母、
父親母親、兄弟二人、みんな食べた魚からの水銀で中毒し
頭が狂って死んでいき何故かたった一人生き残ったという
男にも会ったが、その男が一番過激な運動家だそうだが私
にはとてもそうには見えなかった。私が彼なら空素の工場
にダイナマイトでもぶちこんでいたかもしれない。そんな
目にあっても、ほとんどの人たちは国の救いの手を今でも
なお辛抱強く待っていました。

国が重い腰を挙げ担当の厚生大臣がようやく町にやって

でしかない。

つのっていく社会の新しい不満や不安に左翼が大きく火
をつけるのはいつだろうかと、私は私なりに考えるように
なりました。

そしてそのきっかけは多分、連合赤軍の事件や彼等のも
ろもろの動きを眺めてみて、天皇御在位五十年の祝いに反
対してだろうと思った。彼等はきっとどこか主要な場所な
り大事な人物を占拠なり拐し、なにかとんでもない要求
を政府に突きつけるのではないか。その時はこちらも自民
党の本部なり経済界の主要拠点を占拠し、政府にみだりな
譲歩をさせぬよう牽制しなくてはなるまいと仲間と話し合
っていました。

私は今でも、日本の新左翼系の過激派はあの姑息な共産
党とはまったく違った人間たちだと思っています。共産党
の奴らはしょせんこの社会の寄生虫のようなもので、反対
を唱えながら実は今ある枠の中で生き長らえていこうとし
ているだけです。しかし彼等は右とか左とかではなし、前
にもいったようにどうにもはみ出してしまう血の流れの人
間たちなんです。あの赤軍の女闘士の重松房子の父親は昔
の「一人一殺」の血盟団の一員だったそうです。彼女が歴
史で一番好きな人物は獄死した国学者平野国臣だそうな。
わかるような気がする。

しかしなんだろうと彼等のやることはこちらも防がなく てはならない。その想定で私たちも準備を急ぎました。前

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