1992 青柳 恵 恵介 ら拾えってこった」と言ったことがある。 彼は勉強は中の上位の所にいたが、それよ も絵や書道に才能の輝きを示した。先生が 学校を卒業してから頻繁に会うことはなく った。「新規」などという言葉も祖母愛用の 彼の祖母も江戸っ子で、彼はそのオバアチ 二人で歩いていて、道端に野良猫がうずく た。 秋に久しぶりの電話があり、その声はめっ その病院は中学生の頃に彼が入院をしたこ 彼と私との会話は、昔話になった。彼が先 た途端、そのありさまを見て卒倒してしまっ 気が鎮まると、「一つ頼みがあるんだ」と う。 私が病室を立ち去る時、彼は「二度あるこ る。 1992 井尻千男 のところ、深付き合いの日々は書けても、別 れの一瞬は書けていない。これは昔の恋人を 語るようなものだ。 そういうことは他人が乱暴に説明した方が SS のかもしれない。 『小林秀雄の流儀』第二章に興味深いエピソ 1ドがある。それは山本氏がパリのルーブル で、紀元前七世紀の「メシャの碑文」を探し 歩いているときに起った。 「不意に横から、だれかにジーッと見られて いるような気がした。そしてそちらを振りむ いたとき、私は思わず心の中で言った。『あ、 お前はここにいたのか』後で考えると『お 前』という言葉は少々変なのだが、そのとき はごく自然に心の中に浮んでいた。その『お 前』は、濃い薄明の中から上半身が浮び出 て、こちらを向いている。口はほほえんでい るが、目は笑っていない。一方の目はまっす ぐ私にそそがれ、もう一方の目は私にそそが れながら、その視線をやや左手の方へ動かそ うとしている。その左手には十字架の杖があ り、右手をあげてそれを指さしている。それ は何か十字架へ人を誘って行くように見え る。男か女かわからぬ。人間か妖怪か明らか でない。私は、何もかも忘れてその前に立っ ていた。 それはレオナルド・ダ・ヴィンチ最後の た。そして私にとっての小林秀雄とは、耐え こうして出会い、創元社版の小林秀雄全集 これが別れ方である。なぜ「忘れようと努 といったのはなぜか、具体的に誰かを想い浮 ことのある山本氏は、小林と訣別せざるをえ 小林のゴッホ体験」と山本氏の洗礼者 か氏の祖父が内村鑑三の同志か弟子だったは 小林は知ることと分かること、分かること 上」を全部取り除けば神儒仏ともしごく単純 (了) だが、「日本教徒キリスト派」と自称した ー大浦暁生 著者はしがき 本書は一九八九年五月、ボルティモアで開催されたジョンズ・ホブキンズ大 学医学部精神医学科主催の「情緒障害に関するシンポジウム」で行なった講演 を端緒とする。講演原稿は大きく書き足されてエッセイになり、その年十二月 に『ヴァニティ・フェア』誌に発表された。当初はパリ旅行のときの話から始 めたいと思っていた。自分がかかった鬱病の発達という点から見て、わたしに は特別の意味を持つパリ旅行なのだ。しかし、例外的に多くの紙数をその雑誌 からもらったとはいえ、やむをえない限度があり、自分の扱いたい他の事柄を 優先して、この部分は割愛するほかなかった。今回の版でこの部分は冒頭のし かるべき箇所に戻されている。その他の部分は、比較的小さな二、三の変更や 追加を除いて、当初雑誌に発表したものと変わらない。 |