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っとのちの段階になると、わたしは精神全体が無秩序な分断状態 に支配されてしまう。すでに述べたが、そのときは気分の二分状 況に似たものが見られ、一日の早い時間はともかく一種の明晰状 態、午後から夕方にかけてはだんだんと意識がくもってくる。前 日の夕方、暗くぼやけた散漫な意識の中でデル・デュカへの儀礼 を忘れ、フランソワーズ・ガリマールと昼食の約束をしたにちが いない。その約束は思考を完全に支配しつづけ、心の中にきわめ て頑固な決意をつくり出したから、いま、尊敬すべきシモーヌ・ デル・デュカを平然と侮辱することもできたわけだ。「それで 心!」と彼女はわたしに向かって叫び、顔を怒りでまっかにしな がら堂々としたからだをくるりと反転させた。「いいか......いい いから!」すると突然、わたしは自分のしたことに気がついて愕 然とし、恐怖のため気が遠くなった。女主人とアカデミー・フラ ンセーズの面々が食卓についているのに、主賓は欠席してラ・ク ーボールにいる情景を思い描いてみた。わたしはあわてて、クリ ップボードを持ち禁欲的な青白い顔にメガネをかけたシモーヌの 助手に、昼食会に復帰できるようとりなしてほしいと頼みこん だ。すべて恐ろしいあやまちで、混乱、誤解なのだー。それ からわたしは、全般的に心の平静を保っているときなら、また精 神の健康が堅固だとひとりよがりで信じているときなら、自分が 口にしたとはとても思えない言葉を口走った。このあかの他人に その言葉を話す自分の声を聞いて、わたしは身の凍る思いがし た。「わたしは病気なんです」と言ったのだ。「精神病関係の障 害です」 デル・デュカ夫人は寛大にもわたしの弁明を受け入れ、昼食会

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うな無理解はふつう共感の欠如によるものではなく、健康な人び とが日常経験とあまりに異質なこの苦痛の形を、基本的に想像で きない ことによる。わたし自身にとっては、との苦痛は水におぼ れることや喉をしめつけられることともっとも密接に結びついて いろが、この連想ですら的はずれだ。長年のあいだ鬱病とたたか ったウィリアム・ジ ムズは適切な描写をさがすのをあきら め、『宗教的経験の諸相』を書いたとき、描写が不可能に近いこ とをこう暗示している。「それは絶対的で活動的な苦痛だ。通常 の生活にはまったくわからない一種の精神的神経痛だ」

苦痛は美術館探訪のあいだずっと続き、そのあと数時間でした いに高まっていった。ホテルに帰るとわたしはベッドに倒れ、横 になって天井を見つめながらほとんど動くこともできず、極度の 不快感の中に呆然自失して身をまかせていた。こういう場合、理 性的な思考は精神から離れてしまうのが通例で、だから呆然自失 なのだ。この存在状態に対してこれ以上適切な言葉を思いつくこ とはできない。認識能力のかわりにあの「絶対的で活動的な苦 痛」がやってくる、どうにもならない麻痺状態だ。そして、こう した幕間狂言のもっとも耐えがたい場面の一つが不眠。性ばこれ までの人生で、数多くの人びとの例にならい、午後遅く安らぎの 昼寝に身を休めるのがわたしの習慣だった。しかし、通常の睡眠 パターンを破壊するのが鬱病の悪名高い破滅的な様相だ。毎夜悩 まされる有害な不眠症に加えて、午後のこの不眠攻撃。夜と比較 すれば小さなものだが、みじめな気持がもっとも激しい時間に襲 ってくるだけに、なおいっそう恐ろしい。全生活時間の疲労にた いして数分間の安らぎも許されないだろうということが、いまや

るし)から派生したものだと言っても無理はない。自分はこの賞 に値しない、ここ数年間に受けた表彰のどれにも実際に値しな い、と自分を納得させてしまった結果だということだ。紛失の理 由が何であれ、小切手はなくなってしまった。しかもこの紛失 は、ディナーの席で身を襲ったそのほかの不幸とぴったり符合す る。豪華な「海の幸盛り合わせ」を目の前に置かれても食欲がな く、無理に笑おうとしても笑えないで、ついには事実上話がまっ たくできなくなってしまったのだ。この点まで来ると苦痛が狂 に外耐心して、はかりしれない 精神錯乱を生じ、しわがれたつぶ やき声のほかには言葉を発することができない。自分が白目がち になり単音節の語しか言えなくなるのに気づいたが、友人のフラ ンス人たちも不安な気持でこちらの苦境に気づいたとわたしは感 じた。いまや下手なオペレッタの一場面で、一同みんな床に身を かがめ消えたおカネをさがしている。もう帰る時間だからとわた しが合図したそのとき、フランソワーズの息子が小切手を発見し た。どういうわけかポケットから滑り出て、隣のテーブルの下に ひらひらと飛んで行ったのだ。そして一行は雨の降る夜の街へ出 た。それから、車に乗って走って行きながら、わたしはアルベー ル・カミュとロマン のことを思いうかべた。

III

わたしが若い作家だったころ、ほとんどどの現代文学者にもま

カミュに会えなかったことでいつも身に感じている失望感は、 ほんとうにもうすこしで会えるところだったという挫折感とまざ りあっている。一九六〇年、フランス旅行で会う計画をたてたと き、作家ロマン・ガリから手紙があり、パリでディナーの席を設 けてカミュに会わせると言われた。非凡な才能の持主ガリとは当 時わずかな面識しかなく、のちに大の親友となったが、よく会う カミュがわたしの『闇の寝床』を読んでほめていた、と知らせて くれたのだ。もちろんわたしは有頂天になり、三人で会えればす てきな事件になるだろうと思った。しかしフランスに着くまえに 恐ろしいニュースが舞い込んで、カミュが自動車の衝突事故にあ い四十六歳という残酷なほどの若さで死んだことを伝えた。知ら ない人の死をこれほど痛切に感じたことは、いまにいたるまでは とんどない。わたしは彼の死のことを際限なく考えた。カミュは 車を運転していたわけではなかったけれども、運転していた出版 社主の息子がスピード狂だと知っていたにちがいない。だからこ の事故には自殺類似行為、すくなくとも死の遊戯の色合いをおび た向こう見ずの要素がある。この事件の推理には、カミュの著作 にみられる自殺のテーマを振り返ってみることが避けられないだ ろう。今世紀のもっとも有名な知的発言の一つが『シジフォスの 神話』の冒頭にある。「真に重大な哲学的問題はただ一つしかな い。それは自殺の問題だ。人生に生きる価値があるかないかを判 断することは、哲学の基本的問題に答えることになる」初めてと れを読んだときわたしは当惑して、そのエッセイを読みすすめな がら性とんどそのことばかり考えていた。エッセイの説得力ある 論理と弁舌にもかかわらずわたしには理解できない部分が多く、

ており、マーサズ・ヴィニヤードの夏の住いから週末の訪問でや ってきた。ガリと話しながら感じたのは、繰り返し起こるカミュ の絶望感がいかに深刻だったかを語るガリの想定のいくらかが、 ガリ自身もまた鬱病に悩みはじめているという事実のために重み を増している、ということだ。ガリも自分の病気を率直に認め た。彼の話では生活機能をむしばむようなものではなく自分で制 御できているが、草木の繁茂するニュ ングランドの夏のさな かにそぐわない青カビの色をした鉛のような語性の気分、それを ときおり感じるという。リトアニア生まれのロシア系ユダヤ人ガ リは、東欧的な憂鬱の気持をいつも持っているように見えたか ら、それとの違いを言うのはむずかしい。だがやはり、彼は病ん ていた。カミュが語るのを聞いた絶望的な精神状態が心をよぎる のを感じることができるというのだ。

ガリの状態は、アイオワ生まれの女優で彼の妻だったジーン・ セバーグがそこに来ていたことによっても、ほとんど軽減されな かった。ガリは彼女と離婚して、長いあいだ遠ざかっていたと思 う。二人の間に生まれた息子のディエゴが近くのテニスキャンブ に来ていたので、彼女もそこへ来たのだ。疎遠な仲と思われてい たのにジーンがガリといっしょに住んでいるのを見てわたしは驚 いたが、彼女の容貌にもまた驚いたーいや、衝撃を受け悲しみ にうたれた。以前は精緻で光り輝いてい たブロンドの美もいまは 消えうせ、腫れぼったい風貌になっている。夢遊病者のように動 き、ほとんど口もきかず、鎮静剤(あるいは麻薬、または両方) をのみすぎて強硬症に近い状態になった人

ろな目をしてい る。二人がまだどんなに心を寄せ合っているかわたしは理解し、

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