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前人はみなこの世の価値観に妥協したり、無我夢中で生 きておりますが、時として、そうした自分を宇宙へ放り出 したくなるものです。あれ、ふっと最初の一行が出来てい ったら、ずっとなんとなく行って、最後にボロンと。 白洲私もそうです。全然、はじめからきちんとした構想 なんか考えない。大きなピクチャーはあるけれども。おし まいどうしようとか決めてたら、文章の中からなにも生ま れないでしょう。 前意識の深層みたいなところからダッと来るものがね。 それがまた文章を書く喜びだし。しんどいですけどね(笑)。 白洲でも、出来上がったのを拝見しますと、大変な構成 力ですよね。 前 恐れ入ります。たいてい二日から三日で......。中には ちょっと眠くなって、ぼけてね、間違うてるとこあるん ですよ(笑)。ああいう話なんて、半分はフィクション もまじるんですけれども、真面目な律義な人が多いもん ですから、あちこちから手紙が来ましてね。たとえば『森 の時間』の「さゆりの花は人死なしめむ」の話の最後で も「その夜わたしは、ささゆりの香の溢れるホテルの部 屋で、安らかな夢精をした。」と書いたんです。そしたら 「元気なんですねえ」とか言われまして。いちいち、い や、そうじゃないんでと弁解してまわれませんから困りま した....(笑)。 白洲神憑りですよ、ほんとに。神憑りの神語りなんです ね。先生のご本を読んで、一番強烈な印象だったのは、

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見ててね。あまり詩的に、文学的に見ないんですょ、現代
の娘さん達は実生活的に見るんです。純真といえば純真な
んですけど。このせつという女性が村を捨ててこのままど
こかへ行ってしまったら、自分の非を認めたことになる。
もっと頑張って村に残るべきじゃないか、とかね。
白洲まあ:
前僕の歌のお弟子などにも、つねに内面の歴史という
か、人生のドラマを豊かにしなさいというのです。みんな
それぞれ人生があるから、それは素晴らしいし、かけがえ
がないのですから。ところがいかにその人の人生が波瀾に
富んでいましてもね、なんか書きたくな い のが殆どです
よ。自分が本当に書きたいというのとまた別なんですね。
だが、一人一人の人生というのは、本当にどんなに愚かで

も輝いております
白洲そういう話はお弟子さんたちは、歌で......。
前そのすべてが、歌には出ません。歌を枕にして、詞書
や随筆にしていただく。さらに補って語っていただくので
す。 私は結婚するまでにこういう愛と死のドラマがあった
なんていって、話してくれるんですよ。
白洲だんだんに、作品に昇華されていかないんですか。
前それが理想ですし、みんなそうしようとして歌を詠む
のですが、人生の具体はやっぱり散文でないと駄目なんで
しょうね。歌というのは、そういうものが濾過されて、萩
の花が揺れたっていうぐらいに
ね。それがつらいですね。そうい

ことばがき

か歌えないんでし ものがいまは極度に

白洲はあー。 前だから、「愛人

てきた。どうしていったら、みんなの顔を見たい からだと いうといて、すぐまたすっと山へ帰った。その後、風が吹 いてきた。風の吹く日はサムトの婆の帰るような日だなあ なんていう。それは文語体。文語体の商勤な力というもの があります。小林秀雄が亡くなってから、講演がカセット になっているのにも入ってますね。 白洲 『山の人生』のね。 前 『山の人生』の冒頭の、あのすごい秋の夕暮れの惨殺 の場面でしたが、それからまた『遠野物語』の六角牛山で 白い鹿を撃つ話も面白い。ベテランの猟師が、どーんとや るんだけど、倒れないんですね。白い鹿は神の使いでしょ う。白い鹿を撃ったらいけない。倒れない。それで見に行 ったら、石だったんですね。その練達の猟師が、鹿と石を 見紛うべくもあらずなんていうような調子で。 白洲小林さんは、ほんとに柳田さんの文章を上手だって いって、何度も聞かされたわ。 前 柳田の余りにセンテンス の長い のはかなわんですが ね。 白洲ありますでしょう、中には。 前中年、晩年になってきてから、長くなりましたね。 『遠野物語』は聞き書きとはいえ、『後狩詞記』とか、中期 までのは短くて、シャッとキラキラしているんですね。 白洲小林さんは、「海上の道」のことを非常によく言っ てらした。 前やっぱりあれが一番最高なんでしょうね。保田與重郎

る激しい憧れがあって、最後に新潮社から歌集を出したで しょう。文章もいいものはやはり詩的な世界のものでした ね。 白洲吉野からはじまる話でしょ......鷲がいて、桜の虫を 食べるとか。ずっと書かないでいらして、やっと「新潮」 から連載が始まったのよね。それが三回ぐらいまではすご くよかったのに、途中からなんか威張ったみたいな文章に なって。 前とにかく天壌無窮をすぐ言われるでしょう。あんなと こにこだわられなくてもいいのにね。新潮社から出た大著 『日本の美術史』にも、随所にすばらしい ところがありまし た。保田さんとほんの三十分話していると、鮎のうるかの 作り方や、神社の鳥居のことなど話され、二十代の僕が土 地と生活に、いかに無智であるかを教えられました。 白洲ねえ。あの連載も、はじめはすごくよかったんです よ。吉野に住んでいる人たちの生活を書いててね、どうや って桜の花を大事にするとか、そういう話だって、すごく よくてね。しばらく黙っていると、こんなにいい文章が書 けるのかと思っていた。そうしたら、それ評判がよかった んだかなんだか知らないけど、急に大上段になって。 前 小沢書店から昭和五十年頃に出た僕の『存在の秋』に ついて書評を書いてくれたんですよ。その経緯が傑作なん です。三枝熊次郎 Sうおじさんが「奈良県観光新聞」をやっ ててね、「先生の本のこと、誰かに書いてもらいまっさあ」 言うてね。「保田さんはどうでっしゃろう」って怖しいこ

いきさつ

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