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根に独自の主張をもった文学が生まれたのは
事実です。島木健作や本庄陸男など北海道で
生まれた作家の仕事がそれに当たりますが、
一方では政治風土とも結びついて道内では生
活派の文学運動が盛んでした。

近年事情が変わってきたのは S うまでもな
く高度経済成長のせいで いわゆる傾向文学の
分野に読者がついてゆかなくなったのでしょ
う。これを北海道の独自性が失われたと概欺
する向きもないではありませんが、よしあし
はともかく手段としての文学が一部にしか受
け入れられなくなったのは時代の趨勢です。

依然として開拓にまつわるさまざまな出来
事は素材として生きていて、声高に訴えずと
も平明に叙述されるだけで読者の感動を期待
できるし、何よりもしっかりと書けば文学た
り得るわけですから、その点では北海道は素
材に恵まれている方かもしれません。

そうはいうもののそれらは社会派の仕事に
近いし、かといって北海道で人間のしがらみ
を書こうとするとすぐ開拓史にゆきついてし
まうことにあきたらなく思う人もいるでしょ

にそれまでなかった新しい問題も生じてきて
それらが結構小説の素材となってきましたか
ら、北海道が独自でいなければならない必要
も必然性も薄れてゆく道理です。そうなると
人間関係の機徴に敏感な女性の書き手の出番
です。

昨今の女性進出の現象について主として独
身女性の立場からのこんな感想も聞かれま
す。男女平等というけれど職場での女性は内
心男性には敵わないなと思っている。女性は
残業などに手心を加えてもらえるけれど男性
はきりきり舞いで残業もこなし、退社時にい
っばい飲って家に帰ればバタンキューだ。と
ころが女性はこの間映画、観劇、音楽会にカ
ルチャー教室と趣味や教養の場に放たれる。
男性よりは勉強の量が多いわけで男女平等を
いうならこうして得た知識や知恵を仕事の上
にも生かすべきである。近ごろ部長・課長と
長のつく女性が増えてきたのはそこに目ざめ
たせいもあるのでは......と。

なるほど北海道の小説を書く女性が力をつ
けてきているのもこれと無関係ではないかも
しれません。乱暴ない い 方をすれば学ぶゆと
りがあれば「詠雪の才」もおのずと生まれて
こようというものです。

う。

でもここ十数年来のモノ文明の高度な平準 化と共にポスト・モダンをいわれる現代社会

抱えているのが心配されます。いますぐどう
なるとは考えられませんが発行業務にもボラ
ンティアに頼ったりで、早晩値上げの覚悟も
きめなければならないでしょう。

北海道文学館の理事のひとりに名を連らね
ている私も女流の花盛りとは裏腹にこの事態
を憂慮しているところです。

ました。お二人の北海道の文学史に投じた影 響は測り知れないものがあります。

少しこまかくなりますが、このところ読い
た北海道新聞文学賞獲得の四人の女流はみな
同人誌かカルチャー教室の出身です。

先鞭をつけた第二一回の藤堂志津子さんは
「黎」の同人。第二三回の吉井よう子さんは
「白雲木」。第二四回の甲斐ゆみ代さんは創作
教室。そして昨年第二五回の木村政子さんは
「室蘭文学」です。四作中で開拓者を扱った
のは吉井さんだけで、それも現代の視点から
のユーモラスで温S作品です。ハードな開拓
秘史などは少し遠のいた感じです。

とうしてみると全国的に同人誌が衰えてい
るという情報は本当かしらと首をひねったく
もなります。北海道に同人誌が多いというこ
とはただ数の問題ではなくなりつつあると思
うのです。

札幌にある文芸誌「北方文芸」は創刊以来
ずいぶんとよい書き手を育ててきましたが、
ここでも毎巻を賑わすのが女流ですし、複数
の有力な道新文学賞候補が含まれていますか
ら北海道の文学地図が開拓史の半分を支えた
女性にも席を譲るのは当然です。
反面「北方文芸」の経営が資金的に不安を

北海道でも町起こし村起こしはやっていま
すがそうそう特産物があるわけでなし、土地
が広大とはいいながらリゾートだゴルフ場だ
とやるのも環境保全だけでなく経済効果から
いっても多くを望めませんから、郷土史発掘、
民話創作といった分野が見直されています。

むろんここでも女性が活躍します。高学歴
社会となったいま家庭の主婦の潜在力は貴重
です。また北海道を訪れる著名東京人がつい
洩らしがちな北海道の後進性への発言には、
男たちはもちろんですが女たちの反撥はきび
しいものがあります。まして「北海道の女
は」などと名差しで軽海な思いこみの論評な
どする人は総スカンを食らいますから用心し
た方がいいでしょう。生粋の道産子の私です
ら女を女性といいかえてびくびくしているは
どなのですから。

(了)

に行こ

パではなく、アジアの延長にある、というと 中国系女性ミヌー、難民収容所の現状を取 とだ。私が訪れたダーウィンは雨期の終わり 材しようとする向う見ずなオーストラリア で、毎日夕方になると暗雲が一団見る見るう人女性ジャーナリスト・ジュディスの二人が ちに近づいてきて稲妻が光り夕立が降った。 中心となって話が展開する。自分の家族が乗 飛び込んだタイ・レストランのテーブルで った難民船が来る日を待っているミヌーと近 は、白人と中国人とアボリジニの三人連れが づくうちに、ジュディスは単なる傍観者を越 談笑していた。シドニーやゴールド・コース えてボート・ピープルの問題に巻き込まれて トに遊びに行く大勢の日本人観光客にとって オーストラリアは圧倒的に「白い国」だが、 オーストラリア政府が受け入れたインドシ ダーウィンでその印象は覆される。人口七万 ナ難民の数は人口一人当たり

オーストラッ ア映画『タートル・ビーチ』は、マレーシア を舞台にしたヴェトナム難民の物語である。 マレーシアの海岸に流れ着く中国系の難民た ちを待つ、マレー村民の人種的憎悪と虐殺の 恐怖、過酷な髪民収容所生活という苦難の運 命を基軸にし

労働 者階級の生活する下街を歩いてみるととく に、中国語の看板の店がここ数年でぐっと増 えていることに気づく。ボート・ピープルと して流れ着き、当初は政府のホステル

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る、とへたくそな英語で話したあの子。 中国
系の店がずらりと並んだあの商店街のどこか
で働いてるのかもしれない。
『タートル・ビーチ』の原作者ブランチ・ダ
ルブジェ (一九四四年シドニー生まれ)は、
最初ジャーナリストとして出発し、インドネ
シアとマレーシアで生活した経験をもとに三
十歳から小説を書き

オス的で秘教的な「不可解な謎」として描く ・ ナンが手を貸さず、かえって制止したことを
紋切り型の一般論にぶつかり、とまどうこと 悩み許さないのだ。映画では原作ほど女の問
ままあるのだが、ともあれこうした作家た 題が強調されてはいないが、ジュディスが初
ちは、オーストラリアにとってアジアは S めてミヌーに面会を申し込みホテルの一室を
ま、自分たちが片足をつっこんではいるけれ 訪れる場面で、ミヌーは部屋にジュディスを
ど今一つ確信を持てない、かといって避けて 待たせておいて目の前で裸になり小馬鹿にし
は通れない自分たちの運命である、と感じて たようにシャワーに入っていく。とのさらっ
いる。九割が白人の国でありながら常にアジ とヌードになってしまうところ、男の視線で
アに対して恐れあるいは憧憬を抱いてきた はなく女の視線が予期されているのに、やは
国、これは前例の無い存在かもしれない。 り挑発的である。一見わかりやすい社会派の

ところで、『ター ト ルビーチ』に限ら 物語で、とくに映画の方は母の愛というあま
ず、『わが青春の輝き』『ピクニック・アット りにわかりやすい感情を核にしているのだけ
・ザ・ハンギングロック』などでもそうなの れど、セクシュアリティの境界線、女の野蛮
だが、オーストラリア映画ではどうしてああ なほどの行動力という点から深読みすると、
も女が野放図に行動的なのだろう。『タート アイデンティティの実験国家オーストラリア
ル・ビーチ』の場合、原作はかなりはっきり らしい新しい女の姿が任のみえてくる。
と「女」の問題を意識していて、ミヌーがか 人種、国家、性別の境が、それらに付きま
って参加していたちょっとあぶない感じの とう優劣の序列が、揺るがされる場所に惹か
(同性愛的)フェミニスト・グループの描写 れる。揺るがされることを常態として受け入
なども出てくる。男性的で支配的な夫より仕 れる実験を試み、揺らぐことの困難にもかか
事を選んで、ジュディスは離婚する。また彼 わらず生き延びるための方策を探ること、あ
女は恋人よりも女同士に共有された苦痛の経 そこではそれができそうな気がする。だか
験を重視する。ジュディスはインド人カナン ら、まずダーウィンへ行こう。いまは雨期の
の東洋的魅力に惹かれ恋をするのだが、難民 真っ只中で道も川と化しているけれど、春に
船でやってくるはずの自分の家族のために生 なったらどこよりも、あの暑S アジアテ
命を賭けるミヌーを助けようとするとき、カ オーストラリアへ。

こんな例が語られた。医師の勤務する病院
にはいり、種々の検査を受けた後、もうほと
んど有効な治療は期待出来ない、と診断され
た高齢の患者がいた。本人も家に帰ることを
希望し、同居する家族もそれに賛成したた
め、後は自宅で静かな時を過させよう、と医
師との間に相談が進められた。

しかし、それを実現するのは容易ではな
い。家の近くに事情のわかった医者がいて、
常に密接な連絡の取られている必要がある。
幸い近所に理解を示してくれる開業医がいた
ので、頻繁な往診と、緊急事態発生時への対
処方法などがこと細かく決められた。つま
り、恢復の見通しのたたみ病んだ老人が、よ
うやく畳の上で死ねる条件に恵まれたわけで
ある。家族の看護態勢が整えられたのはいう
までもない。

ところがそこに、横槍がはいった。見舞い
に来た親戚が(おそらく老人の近親者だった
のだろう)自宅療養する病人を見て、こんな
状態になるまで病院にも入れず、家族の者は
いったい何を考えているのか、と激怒したと
いう。有無をいわせぬ勢いでたちまち入院の
手筈が押し進められてしまった。同居する家
族がそれまでの事情をどのように説明し、S
かなる抵抗を試みたのかまでは話されなかっ
たのでわからない。しかしその親戚の主要は

世の常識でもあるのだから、結局は阻み得な
かったものと推測される。いずれにしても、
病院の医師、近所の開業医、一緒に住む家族
などの苦心と協力によって折角整えられた量
の上で死ぬ準備を一挙に突き崩され、老人は
結局病院のベッドの上で息を引き取ったのだ
そうである。

この話には、様々のことを考えさせられ
た。高齢化と終末期医療看護の問題、病人と
共に暮す家族と離れて住む近親者の関係、死
に旅立つ者と見送る者の関りなど、どれ一つ
取っても切実な課題ばかりである。

それらの中心を貫くようにして印象に刻ま
れたのは、人間の苦しみをどう扱うか、とい
う問いかけであった。

病んだ老人の肉体的、精神的な苦しみが問
題の核にある。誰でもが、とまでは Sえみに
しても、これは性とんどの人々がやがては我
が身に引受ければならぬ宿題であるだろう。

しかしそのことの他に、周囲に広がる波紋
の方に今はより強い関心を覚える。当事者自
身の苦しみとは別に、苦しみを見つめる苦し
みというものもあり、しかもこれは病者本人
ではない以上、避けるつもりなら避けること
も可能であり、逃げ出す道が開かれている苦
しみでもある。
末期の近づいた老人を自宅に連れ帰り

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