新潮, 第 89 巻、第 1〜3 号 |
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むろん下醍醐は今も三宝院と五重塔のある山麓であって、奈良街道をはさんで南北にのびる町家もふくんでいた。 ... 「七年の夜雨を忘れる」の意味がいまよく私にはわからないけれど、雑木のなかに桜だけが白く浮いている山の景色はよく表現されているよう ...
むろん下醍醐は今も三宝院と五重塔のある山麓であって、奈良街道をはさんで南北にのびる町家もふくんでいた。 ... 「七年の夜雨を忘れる」の意味がいまよく私にはわからないけれど、雑木のなかに桜だけが白く浮いている山の景色はよく表現されているよう ...
15 ページ
馬が女ずわりして、古い話をくり返しはなす顔つきをいま上手にいえないのがもどかしい。長い鼻づらでもあるから時どきぶーふーと黒い鼻腔から息を吐いて眼をほそめ、よくしゃべるのである。私はかなり長い時間を、「照銀」とその日は話したと思う。
馬が女ずわりして、古い話をくり返しはなす顔つきをいま上手にいえないのがもどかしい。長い鼻づらでもあるから時どきぶーふーと黒い鼻腔から息を吐いて眼をほそめ、よくしゃべるのである。私はかなり長い時間を、「照銀」とその日は話したと思う。
22 ページ
... が出来ているので、昔の鄙びた町家は、街道筋にわずか残るだけで高みはみな新しい住宅地に変っている。大石内蔵助が遊興したといわれた撞木町も、深草練兵場を貫いていた両替町通りだっそうだから、むろん、そんな遊廓の面影はいまだってない。
... が出来ているので、昔の鄙びた町家は、街道筋にわずか残るだけで高みはみな新しい住宅地に変っている。大石内蔵助が遊興したといわれた撞木町も、深草練兵場を貫いていた両替町通りだっそうだから、むろん、そんな遊廓の面影はいまだってない。
30 ページ
枝垂れを支える竹の棒や、木枠が、それほどにも古びていな S のを見ながら、参道の桜たちも太いのはべつとして、私や仲間が馬をつないだのはもうなくなっていて、いま見えている花ざかりの桜はその後植えられたものかもしれぬと思った。
枝垂れを支える竹の棒や、木枠が、それほどにも古びていな S のを見ながら、参道の桜たちも太いのはべつとして、私や仲間が馬をつないだのはもうなくなっていて、いま見えている花ざかりの桜はその後植えられたものかもしれぬと思った。
32 ページ
ところがいまは、それを動かしがたいことと感じている自分に気がつく。生きることのつみかさなりの傷やらしみやら、あるいは喜びやらの総量が、かさなる偶然に対して確かにこうしたことは起るものだ、という納得をあたえている。
ところがいまは、それを動かしがたいことと感じている自分に気がつく。生きることのつみかさなりの傷やらしみやら、あるいは喜びやらの総量が、かさなる偶然に対して確かにこうしたことは起るものだ、という納得をあたえている。
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