新潮, 第 89 巻、第 1〜3 号 |
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9 ページ
んの時代で、花喰う鳥に頭をなやました裏方がいて、工夫発明した鈴つきの紅網
は、まこと秀吉ならずとも誰もが感心して眺めたものだろう。太閤秀吉がこの世
を去って、ざっと三百五十年後の、一九四四年(昭和十九年)の四月半ばに、私は、
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んの時代で、花喰う鳥に頭をなやました裏方がいて、工夫発明した鈴つきの紅網
は、まこと秀吉ならずとも誰もが感心して眺めたものだろう。太閤秀吉がこの世
を去って、ざっと三百五十年後の、一九四四年(昭和十九年)の四月半ばに、私は、
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11 ページ
だぶきのそり使の屋根で、大きな菊の章を章りこんだ厚 S 扉板の開しられた門の
前であった。その手前に長い木枠にはめこまれた柵がある。中央はえぐれた石畳
で、丸瓦をふいた土塀が、鳥が羽根をひろげたようにかたちよくつき出て、一方
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だぶきのそり使の屋根で、大きな菊の章を章りこんだ厚 S 扉板の開しられた門の
前であった。その手前に長い木枠にはめこまれた柵がある。中央はえぐれた石畳
で、丸瓦をふいた土塀が、鳥が羽根をひろげたようにかたちよくつき出て、一方
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15 ページ
た。仲間の大半は山中で殺され、重人たちに優われたそうだが、自分は出島保
という二等兵と一しょに伊勢海岸の村へ逃げて、やがて出島の本籍地である、
滋賀県下の農家で材木を運んで暮らし、戦後は神社の流鶏馬や、時代劇
ロケーションが ...
た。仲間の大半は山中で殺され、重人たちに優われたそうだが、自分は出島保
という二等兵と一しょに伊勢海岸の村へ逃げて、やがて出島の本籍地である、
滋賀県下の農家で材木を運んで暮らし、戦後は神社の流鶏馬や、時代劇
ロケーションが ...
16 ページ
東京の病院もむろん不足はなく、主治医も看護婦さんもやさしくしてくれたのだ
けれども、私には薬の副作用と思わ ... 頭が変になったといわれても不思議はなく
、時たま、看護婦さんがノックもせず入ってくると、ちょうどベッドのわきに馬
...
東京の病院もむろん不足はなく、主治医も看護婦さんもやさしくしてくれたのだ
けれども、私には薬の副作用と思わ ... 頭が変になったといわれても不思議はなく
、時たま、看護婦さんがノックもせず入ってくると、ちょうどベッドのわきに馬
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22 ページ
りようが見てみたくなった。三日がかりで昔にあったと思える道を歩いた。伏見
墨染までタクシーで行き、そこから徒歩で桃山御陵のうらの大亀谷をぬけ、
小栗栖の切通しへ出て、三宝院にいたる畷道のあとち歩いた。伏見墨染の旧軸重
隊跡に ...
りようが見てみたくなった。三日がかりで昔にあったと思える道を歩いた。伏見
墨染までタクシーで行き、そこから徒歩で桃山御陵のうらの大亀谷をぬけ、
小栗栖の切通しへ出て、三宝院にいたる畷道のあとち歩いた。伏見墨染の旧軸重
隊跡に ...
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