新潮, 第 89 巻、第 1〜3 号 |
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むろん下醍醐は今も三宝院と五重塔のある山麓であって、奈良街道をはさんで南北にのびる町家もふくんでいた。 ... そのありさまはこのうえない眺めだったので、お供のなかのある人が、聞くならく醍醐の花世界見来ればここ雪の乾坤と吟じ、またある人は、 ...
むろん下醍醐は今も三宝院と五重塔のある山麓であって、奈良街道をはさんで南北にのびる町家もふくんでいた。 ... そのありさまはこのうえない眺めだったので、お供のなかのある人が、聞くならく醍醐の花世界見来ればここ雪の乾坤と吟じ、またある人は、 ...
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んの時代で、花喰う鳥に頭をなやました裏方がいて、工夫発明した鈴つきの紅網は、まこと秀吉ならずとも誰もが感心して眺めたものだろう。太閤秀吉がこの世を去って、ざっと三百五十年後の、一九四四年(昭和十九年)の四月半ばに、私は、醍醐の三宝院前にき ...
んの時代で、花喰う鳥に頭をなやました裏方がいて、工夫発明した鈴つきの紅網は、まこと秀吉ならずとも誰もが感心して眺めたものだろう。太閤秀吉がこの世を去って、ざっと三百五十年後の、一九四四年(昭和十九年)の四月半ばに、私は、醍醐の三宝院前にき ...
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だが、すぐ出発がきそうなので、手つだってやらねばならなかった。車輛につんであった延をだしてひろげ、馬葉をそれに入れ、すし巻にしてもち帰るのだった。営舎の農園で芽をふきかけた芋畑の肥料にするためである。むろん古兵の監視の下でするのだ ...
だが、すぐ出発がきそうなので、手つだってやらねばならなかった。車輛につんであった延をだしてひろげ、馬葉をそれに入れ、すし巻にしてもち帰るのだった。営舎の農園で芽をふきかけた芋畑の肥料にするためである。むろん古兵の監視の下でするのだ ...
22 ページ
だが、それも、墨染駅から奈良線に向う途中に教育大学の校舎やグラウンドが出来ているので、昔の鄙びた町家は、街道筋にわずか残るだけで高みはみな新しい住宅地に変っている。大石内蔵助が遊興したといわれた撞木町も、深草練兵場を貫いていた両替町通り ...
だが、それも、墨染駅から奈良線に向う途中に教育大学の校舎やグラウンドが出来ているので、昔の鄙びた町家は、街道筋にわずか残るだけで高みはみな新しい住宅地に変っている。大石内蔵助が遊興したといわれた撞木町も、深草練兵場を貫いていた両替町通り ...
25 ページ
といい、「ねきに小学校がおしてなァ、うちが夏に裸かでおふとん干したりしてると、生徒さんらが土堤に珠数みたいにならんで見てはりますねや」とわらった。山根さんのアパートはそんな低地にあるらしかった。だが、そういわれてみても近くにあるという ...
といい、「ねきに小学校がおしてなァ、うちが夏に裸かでおふとん干したりしてると、生徒さんらが土堤に珠数みたいにならんで見てはりますねや」とわらった。山根さんのアパートはそんな低地にあるらしかった。だが、そういわれてみても近くにあるという ...
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