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この清右衛門を三日にあげず呼びつけて事に当たらせた から、彼の記事も頻出する。

「昼後清右衛門本郷六丁目より帰路、また立ち寄

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つ血量(目まい)もこれあるにつきなおまた神女 湯これを用う 夜八時 (午) 過ぎにおよび みなみな 就寝」 妻、お百が、時に一家の頭痛の種となること、

幸便の節富士交 (験) 二千廷 買い取り候よう申 しつけ、八十四文渡しおく」 「今日 清右衛門 帰路本郷元町奉公人口入れ川 ロ屋へ下女奉公人なおまた催促いたし候よう 申 しつけ遣わす」 そして、その下女についても、 「夕七半時 (テ酸) 過ぎ下女うめ 引移りおわんぬ

規新

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は、町家で相当いいもの

夜具 洗濯致し候ところ未だ出来ず候間四五日 借用致し候よしこれを申す貸し夜具取り出させ、 貸し遣わす」 と具に記されるのであるから、嫁が二分金をねだり取っ た一件が記録されるのは、当然のことであった。

また、人の動きに詳しいのみならず、物の出入りにも細 心である。

「昼後土岐村元立来る 子 対面...... 元立こ れより谷中へまかり候よし折から雲立ち候につき 傘貸し遣わす」 「昼前土岐村元祐(元立息)来る昨日元立へ貸 し遣わし候傘持参これを返さるその節残しお

録 例の遅筆にて 出来かね候様子につき 子手伝 n 今日八半時 (千歳) ごろより筆をとり、夜に入 り 四時 (杵職) までに廿九丁これを書す宗伯はわ ずかに五丁これを逃す」 と記して、自らの速筆を誇り気味であるが、たしかに、 この速筆による筆まめは、一般の日記に見られるような略 称、略記のないことによっても明らかである。

炭一俵を買う先にしても、「鉄砲洲炭問屋松本三郎 治」であり、また、

「...... 宗伯小石川 白山辺 阿部上ヶ地 山田吉兵

衛へまかり越す」
とある山田吉兵衛は、実は義弟である。義弟の名を記す
のに、その住まい まで書き添える煩雑さに接すると、「馬
琴日記」は、おのれ一人のための日記であったのか、とい
う疑いも起こらざるを得ない。

しかし、この疑 S の一半は、実は馬琴自身が、「日記」
の中で解いている。

ある日、大切にしていた写本一冊の紛失に気づいた馬琴
は、去年、別の写本類の製本を、版元の丁子屋に頼んだ
折、製本の見本として渡したことを思い出す。

「今朝、日記 くり出し見候ところ」
と彼は、「日記」をあらためている。たしかに去年の十
一月晦日の日に、

「丁子屋平兵衛方へ 写本四十一冊 表紙(見本)差

秋九月、大丸へ質包に行く。

「今日持参の小判目方少々かるく儀につき、三々引 けのよし

右の小判は当夏 西村屋より講取
り候五両の口にこれあるべく.......」
たしかに「日記」には「潤筆(稿料)金五両」とあるの
だが、当夏とはいっても五月とあっては、これまたあきら
めざるを得ない。

晴れた日であったかなかったか、どんな事のあった日
か、それこそ貰った饅頭の数にいたるまで詳細に渡ってこ
そ、その日のその一件が蘇えるのである。

要するに「馬琴日記」の克明さの一半は、貧しからずと
はいいながら、筆一管に頼る不安な一家が、生き抜くため
の経営の必要から生まれたものであり、もう一半の理由
は、いずれ、おのずから明らかになろう。

貴重な文書の流転は、予断を許さない。「日記」を初め とする馬琴の遺稿類も、思いもかけぬ流転を強いられる。

曾孫、橘女の回想記には、明治になっての遺稿流出の発 端が記されている。

「母 (械響操)の従兄・渥美(正幹碼牌飲奶子)は、常に馬 琴の書いたものを母から借りて、なかなか返さなかっ た。母も、従兄の事ではあり、学才もあるので、信用

ihiter

あつみ

という遺文を、蓋の裏に墨書している。 また、橘女の回想録にも、馬琴の飯田町の居宅にふれ

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ひとしお

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くどうさつき

「二階には、馬琴の書いたものが、背負いかいかに入
れて、何個もく並んで居た。火事と云へば、直ちに
その夜龍が綱で階下へおろせるやうになつて居て、女
でも背負って持ち出せるやう、祖父馬琴は注意して家

を造つておいた」
とあって、彼女たちは、馬琴のひたむきな遺志を知って
いたればこそ、口惜しさも一入だったのである。

用心深い馬琴の、火災はもとより紙魚にまで払った周到
な深慮も、いうならば身中の虫にまでは及ばなかった。

かくして流出した手稿は、「吾仏乃記」「著作堂雑記」を
筆頭に、うかがい知れない人々の間を転々とする。
「日記」についていえば、いつから始められたものかはわ
からないが、六十歳から、八十二歳永眠の年までの二十三
年間は、連綿として書き継がれたことがこれまでに確認さ
れている。

しかし、その二十三部 (年齢) は、身中の虫のうしろ暗
い手放しようから、一括して保存されなかった。

径路は不明だが、最も多く所蔵されたのは東京帝大図書 館の十三部であったが、十二部までを関東大震災によって 焼失した。 一部 (妖●) は貸し出されて難をまぬがれたが、ほかに一

寡婦

文政十年、滝沢宗伯の妻となったお路は、翌十一年、嫡
男、太郎を生んだが、家風の違いに当惑し、夫の病身に悩
まされながらも、滝沢の家に止り、その十一月、夫から得
た二分金をどう遭ったのかについては、口をつぐんだまま
年を越した。

このお路のその後については、克明を極める義父の「日
記」に散見される彼女の記事から、すなわち、馬琴自身の
口から聞くことにする。

ただし、その後の「日記」は、天保五年までの六年分を
もって途絶えるが、人の妻たるお路の六年でもあった。
「日記」の途絶える天保六年に、夫、宗伯を失い、寡婦と
なるからである。

文政十二年。 息子、宗伯の病身は相変わらずで、気が気でない馬琴 は、医薬のみならず、易占、祈勝にもすがったが、はかば かしくない。 加えて、お路の言動がよろしくない。 折々、宗伯に対して、おそらく軽口ではあろうが「不

う域 の過言」をいう。腹も立とうが太郎がいる、相手になる な、聞き流せ、と宗伯にはいってあるので、一応は黙って

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