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かくて、話者と筆者の一年は、詳細を極める大冊「吾仏
乃記」となった。
お路代筆の第二冊の附言に、義父は、
「七十六翁 淹灭解誤

書す かりそめの書翰はさらなり著述の稿本たり

日々によく代筆すしかれども労をいわず
夜はまた刺縫をこととして深夜に及べり常に
その子(太郎)におこたりあるをいましめて 節倹
をむねとす

いまだ貫すべき婦徳あらずといえども人の母と
なすに足れり」
と目前のお路に口授している。
「いまだ賞すべき婦徳あらず」とは、つとめて婦徳を積め
という励まし、また「人の母となすに足れり」とは、点の
からい義父の最大の賛辞と、行路は受け取ったであろう。

お百、そして三人の娘のいずれにも、人の母となすに足
るものを認めていない馬琴の口授を、すでに書き留めてい
たからである。

そして、三女のお鍬は、勝手元のよくない渥見家の後妻
に入ったから、不惑に思うのであろうか、

「...... お鍬良人と共に節険をむねとして、よく
多子を養育す」
と記させたが、この多子の中の一人が、後年、馬琴の手稿
類をかすめとるのだから、皮肉な話といわねばなるまい。

...... 父(馬琴) 老眼 いよいよ病衰して 筆 によしなし、このゆえに お略

長編「八犬伝」を書きおさめ、家記「吾仏乃記」を編み 了えた馬琴ではあるが、彼には、著述が「男子一生の業」

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たんば

たす

種に至りしに......... これらの上に老もお

「ありて」著作の道に走り、「やむことを得」世渡りの術 にしたとは、 いささか体裁を くろった物言いである。 ただ、馬琴には、

「吾無用の書を編演(著編)しぬるは もて有用書 を購求んためなり されば戯墨は人のためにする

わがたり に似て実は吾為にするなり」 という著作観とともに、たまたま天保の改革に際して、

「誠の筆を絶つべきこと勿論なれども老いて吾
身を養う者なくかえって興邦 (太郎)が小禄にて

(生計)の足らざるを資けるに この小技(著
作)ならではせんすべもあらず」
と告白したような売文意識を持ち続けてきたのである。
要するに、彼にとって著作とは、すべての生活者に不可
欠な生業の一つであった。

従って「八犬伝」も、苦しい生計に強いられて、書き延
ばすことから長編化し、開巻からの光彩は薄れ、退屈をま
ぬがれぬ冗長な物語となった、と見られぬこともない。

ともあれ、馬琴作品の正当な評価は、文学史家にゆだね
るとして、真摯に一時代を生き抜き、その実相をあるがま
まに記した生活者・滝沢解の生涯にこそ、見るべきものが
多いように思われる。

なりわい

くつ

いのち

本来ならば、もはや独力で学ぶことが出来るのに、好き でないから続けようとしない。 その上、太郎を診た医師の中島三伯老が、

「この子虚弱にしてよく物に驚き物に怕る れらの症は読書学問すべからず

強いて屈気(心ふさぐ)の技をなさする時は寿を
損ずるの悔いあるべしただ武芸こそしかるべけ

れ」
といったから、得たりと太郎は、学問への心を捨てた。
これには祖父も母も、かっての宗伯の早逝が頭にあるだ
けに、従わざるを得ない。
もっとも太郎のまわりを祖父が眺めてみても、

「当組与力十人同心五十五人ありといえども、読

書学問を好む者 一人もなし」
という連中の中であるから、太郎にその気の起こるわけ
おなかった。
太郎は、もっぱら武芸に励む。
剣法、槍法、柔術ならびに棒法、馬術と手当り次第。こ
とに本職ともいうべき鉄砲は、三十匁銃を自由にあつか
い、試射して皆中する日も少なくない腕前だという。

「近ごろは気力健にして物に驚き物に怕るる
こともあらずなりぬれせめてもの幸せとや言わ
まし」
と祖父はいうが、なお未練を残して、

が、模様いに従えねば」のことではなかった。

年が明けて日光御参詣が近づくと、与力、同心三々五々、
脚ならしに出かけた。

太郎も仲間とともに、渋谷、目黒を皮切りに、亀戸、上
野、国府台、府中から、遠くは江の島まで、六度びも遠足
に出かけたが、つけ焼き刃もいいところである。

日光道中の往復は、ほぼ八十里、八泊十日の旅である。
士ならば、いや往年の馬琴ならば、一向苦にならぬ旅程で
あるのに、脚ならしとは、泰平になれた足弱、と祖父はひ
そかに嘆ずる。

その通り、大騒ぎで出かけた道中で、中途で動けなくな る者が出る、遅れる者は数えきれず、と散々なていたら

あしょわ

とみ、襦袢の両肩には、鉄砲のための綿入り肩当を

太郎は遅れることもなく、耐えたうちの一人であった が、褒められるのは、そこまでであった。

日光から帰って半月、去年の鮮殖が、腹、腰、股、脚に
広がって、番に就けなくなった。おそらく、道中のつかれ
が出たのであろうが、それにしても情けない。

そして、年頭から風邪を引き一時は危ぶまれた祖父に、
太郎の鮮瘡がうつった。

暑熱の烈しいこの年、苦しむ馬琴を介抱するのは、お路 と十一歳のお幸の二人であったが、こんな最中に、お路の 母、琴が暑気に当り、病臥わずかに二日三夜、あっけなく 死んだ。

ちようしやのまんどう

しろねずみちゆうきものがたり

T.........

葛籠

長者万燈」が、なんのことわりもなしに「白鼠忠義物語」
と改題され、金港堂から売り出されている。
馬琴は、桂窓に訴える。

一昨年(...轢)以来 小子は戯作のこと
を思S絶ち候て 慎しみまかりあり候ところよしゃ
再板なりとも作者に告げず候てほしいままに売買
致し候こと実に不埒に候えども今は気力も衰え候
えば....

知らず顔にて打ち捨ておき候ことに候
去 (四) の春もかようの類出で候よし

轢出
告げ候者これあり 長嘆息のほかこれなく候」
こうした偽板の成り行きは、いきおい改作にまで行きつ
いてしまう。

ことわりもなく「八犬伝」を、合巻に綴り直して「犬の
冊子」。それを聞いた「八犬伝」の版元・丁子屋までが、
負けてなるものか、とこれまた合巻に改めて「かなよみ八
犬伝」。もっとも、これは丁子屋が挨拶に来て、「馬琴校
合」と入れたいといったが、虫がいいにもほどがある。に
べもなく断わった馬琴は、いよいよ嘆息。

「思うに 当今は寅年御改正 (妖轢) の後書肆の印
本に株板 (版権)というものなく偽刻重板も写
本にして受けぬれば彫行を許さるるにより.........
人の旧作を盗みて利を得まく欲しぬる書買の無面目
(無恥)になれるなり」
老作者はひたすら耐える。それに、今は御家人・滝沢太

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