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之たちは、スンジャ のように語学校に通っていな
い限り韓国語はできないし、考え方やものの見方などは二
世である自分の親たちと比べても大きな隔たりがあると感
じることが多い。つまり、より日本ふうになっているの
だ。

だから、普通に育ってきた普通の日本人が、ましてやそ
れが俊之やスンジャくら い の世代であったら、在日韓国人
の存在に気付かないというのもあり得ることなのかも知れ
ない。
「でも、それはそれでヒドい話って気もするのよねえ」

スンジャはもうまるっきりいつものスンジャに戻って、
さっきからなかなか減らなかったグラスの中のアイスティ
ーを一気にすすりあげてから言った。
「......で、どうしたの、その彼は」

話の結末が気になって俊之が訊ねると、スンジャはちょ
っと黙った。

............]

「帰っちゃったの」 「え?」 「だから、あたしが『あたしなんかどーなんのよー』って 言ったら、彼ギョッとした顔で『何それ、どういう意味』 って言うからさ、コイツ知らなかったのかって、あたしの 方もギョッとしちゃって、『だってあたし韓国人だよ』っ て言ったわけよ」

よッ」 「そうだよなあ......」

そう答えながらしかし俊之は、そのときのスンジャの彼
氏の気持ちも判らないではない、などと思うのだった。

ス ンジャの話から察するに、たぶん彼はスンジャが「韓
国人」であることにショックを受けたのではないという気
がするのだ。彼は、それまでの自分がかなり身近に感じて
いた人間が「外国人」であったということ、更にはそれを
自分が知らなかったという事実に対して、ひどくひどく驚
いてしまったのではないだろうか。

スンジャが自分の腕時計にちらりと目をやった。
「あ......、そろそろ帰る?」
「うん、そうするわ」

ふたりで駐車場に降りて車に乗りこみ、エンジンをかけ
てから俊之はボソボソと切り出した。
「あのさあ......」
「ん?」
「さっきは別れた方がいい、なんて無責任に言ったけど
さ、俺......」
「うん」
「考えてみるとさ、ソイツの気持ちも判るような気がする
んだよ......」
「どーゆーふうによッ!」
さっきと同じく、俊之のことば尻にかぶせるような感じ

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一校正業への対戦難なことなと、
なことで問題だと思うことはたくさんあるけれど、親たち
がときおり話すような、自分の皮膚で受けとめなければな
らないような他人の敵意やもろもろの感情に身をさらし
育ってきたわけではない。

通名を使っているかいないかの差はあるけれど、スンジ
ャの育ち方も俊之とそう変わらない と思う。世間で起こっ
ている差別に憤りを感じることはあっても、憤りに直接つ
ながるような明確な差別を自らが経験したことはないので
はなかろうか。

そうしてそれは、スンジャの彼のように「在日朝鮮・韓
国人の存在自体を知らない日本人」が増えていることに関
係があるような気がするのだ。 スンジャは「それはそれで
ヒドい話」と言ったけれど。

ただ俊之には――おそらくはスンジャにも、そんなふう
に実際には経験したことのない「他意」を、いつも想定し
て話を組み立てていく癖があるのはほんとうで、だから俊
之がスンジャの話を聞いたときに真っ先に危惧したのはそ
のことだったのだ。架空の敵におびえるみたいに、俊之は
「想定された他意」に対していつもビクついているのかも
知れなかった。
「判ってるって......、でもそれだったら......」
「でもヤなの」
スンジャは断定的な口調で言った。

「なんか、トシちゃんの話を聞いてあげるはずだったの
に、逆にあたしの話ばっか聞かせちゃったみたいで......、
ゴメンネ」

タクシーの列をよけて俊之が車を停めると、スンジャは
ドアを開けながら言った。それからもう一度身体を俊之の
方に向ける。
「それに、あたし今日ちょっとイジワルだったね、それも
ゴメン」
「あ、ううん、ゼンゼン......」

ス ンジャはにこっと笑って「バイバイ」と言うと外に出
たが、後ろ手で閉めかけたドアを思いついたようにまた開
き、車の中に上半身を戻した。
「あ、それとさ。ひとつお願いがあるんだ」
「何?」
「明後日のお昼、あたしの友だちが日本に帰ってくるんだ
けどさ、成田まで迎えに行きたいの。車、出してくれな
い?」
「えー、またかよー」

俊之は横目でスンジャを睨むようにしながら言った。も
う何年か前のことになるが、やはりスンジャの友だちを成
田まで迎えに行かされた憶えがあった。
「お願い。いっつもこういうコトばっかトシちゃんに頼ん
じゃってホントに悪いと思ってるけどさ。あたしも車があ
れば自分ひとりで行くんだけどオ......」

あさって

るとどうも弱いの あった。 「

それ聞いた俊之は、反射 にヒドい男だと思い、 そのすぐあとで、ただビッ

ただけなのだろう、 と偉 そうにスンジャに言った。

けれどもしそれが自分だったら、自分がスンジャの立場
に立たされたのだとしたら、同じように「ビックリしただ
けなんだよ」と納得することができるだろうか。
芳佳はどんな反応を示すだろう。

俺、韓国人なんだよ。
芳佳に向かってそんなふうに言っている自分を想像して
みる。そのとたん、涙でいっぱいのあの大きな目が思い出
されて、俊之はびくっとする。芳佳は何と言うのだろう
か。

もし芳佳が、スンジャの彼のように「黙って帰ってしま
った」ら、俊之はどうすればいいのだろう。

ーそりゃあビックリもするじゃん?
ついさっきスンジャに向かって自分自身が言ったことば
に、寒気を覚える。

頭ではそれを受け入れることができるだろう。そりゃあ
ビックリもするよ......。けれど感情は、そんなに短いこと
ばでもってすべてを片付けてしまおうとすることを拒むの
ではないだろうか。

キーンと冷えたように感じられる頭を二、三度振って、 俊之はやっと車を発進させた。エアコンを効かせているか

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