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には古い退刊誌を床に積んで売っている男がいる。どんな 人が買うのだろう。

薄暗い 連絡通路を歩きながら、ぼくはまだ少女のことを 考えていた。生れてから、あのような目で見られたことが あっただろうか。たとえば、瀬里奈にあのような目をさせ ることが可能だろうか。幸せを感じさせることができるだ ろうか。 ぼくは足取りをゆるめた。頭の中にひらめくものがあっ

た。

あの土地と家がごく自然に瀬里奈のものになるとした
ら、どうだろう? 土さえ上げてしまえば、問題はおこら
ないはずだから、確実に彼女のものになるように、公正証
書に基づく遺書を作ればよいではないか。

悪い考えではなかった。家を建てるために人間性が変っ
たと批難された男にふさわしいプレゼントのようにも思え
た。ついでに、遺書のどこかに、ぼくが死んでも、葬儀
も、ドライアイスとレーザー光線の〈野辺送りもいらな
い、と書いておけばよい。

(了)

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祀りのあと

東北新幹線のホームに上ると、充はひといきついて後をふりかえった。
列車が入ってくるのを待つ人々の間をなお大きな荷物を抱えた人の群が次々
と連なってやってくる。

間もなく十時発の盛岡行の列車が入ってくるというアナウンスが頭上で繰返
された。亮はホームの時計を見て、ショルダーバッグを抱え直した。よほどホ
1ムへの上り口まで戻ろうかと思ったとき、ようやく人群の向こうに葉子のビ
ンクのジャケットが見えた。肩に布製のバッグをかけ、もう一方の手にキオス
クのビニール袋を提げている。
「......売店が混んでて、おまけに店の人がのろくて、またあなたに叱られやし
ないかと気が気じゃなかった」

半分充を咎め立てるような口吻で報告すると、ビニール袋の中をのぞいて、 「幕の内とサンドイッチにしたわ。それと缶ビール一個だけど、いけなかっ

て、ベランダに物を干すことも出来なかったのが、近頃は
気にはしながらもフェンス越しに表をのぞくことも出来る
ようになった。つい先頃は園芸店で鉢植えの花だの観葉植
物だのを買ってきてベランダの隅を飾った。考えてみれば
ベランダも貨貸料の内に含まれているのだから使わなけれ
ば損だもの、と葉子は自分を得心させるように言ってい
た。

ホームに着いた列車の車内清掃が終って、再び乗降口の
扉が開かれた。待ちかねたように乗り込む人々の列のあと
について、葉子が落着かぬ風に背後をふり向いた。
「どうしたんだろう、陸夫」
「何号車か言ってあるんだろう?」
「もちろん。切符を買ってきた日に電話しておいたわ」

一週間前に最寄りのJRの駅に特急券を買いに行ったの
は葉子である。そのときもずいぶん神経の具合がよくなっ
たものだと自分でおどろいていた。
「まだ発車まで間がある。それに、万一問に合わなかった
としても、どうってことはないだろう」
「それはそうだけど、失礼しちゃうわ、自分でたのんでお
きながら」

葉子は充の手前をはばかってか、末弟に腹を立てる風を
してみせた。

葉子の末弟の陸夫が一つ年上の女と同棲していることは もう数年前から承知していた。いいかげんな気持ではな

気分もあった。先方の両親と会う段取りはすべて陸夫のは
からSに任せて、亮たちはそのために一両日身体をあけて
おきさえすればよかった。最初は陸夫も同行することにな
っていたが、勤めの都合で行けなくなり、完たちだけで出
向くことになった。はむしろその方が気まかせに小旅行
をたのしめていいと思っていた。電話をかけてきてしきり
と恐縮する陸夫に、話をぶちこわすようなことはしないか
ら心配するな、と言ってやった。むろん冗談にだが、陸夫
は日頃世間のしきたりなどを軽んじる亮の言動についてい
くらか本気で危惧しているようでもあった。

二人掛けの座席にようやく腰を落着けて、売店で買って
きた弁当や缶ビールを折り畳みの小卓に並べているとき、
通路の人々をかきのけるようにして陸夫がやってきた。陸
夫は自動車部品の販売会社に勤めており、ワイシャツにネ
クタイをしめた上に会社のネーム入りのジャンバーを着て
いる。
「......車がなかなか停められなくって」

陸夫は小さく畳んだハンカチで額を拭いながら弁解する
と、長身を大仰に折って、
「すいません、おにいさん、お忙しいのに面倒なことをお
願いして」

と言った。顔を見るのは正月に葉子の母親のところで会
って以来だからおよそ九ヵ月ぶりになるのだが、このとこ
ろ再三電話で言葉を交しているのでしばらくぶりという気

た。

久美子は昨日から休暇をとって盛岡市内の実家に帰って いるということだった。盛岡に着いてから、充の方から久 美子の実家に電話をする手はずになっていた。陸夫はまだ 久美子が出迎えに来ないことを苦にする口ぶりだったが、 充の方からその方がいいと言ったのだ。久美子とその両親 に会うのは、陸夫たちの今までの経緯もあって、晴れがま しい気分のものではなかった。出来れば盛岡に着いてから 少しの時間をもった上で対面した S と考えていた。 「それじゃあ....」 陸夫は腕時計をのぞくと、葉子に向かって内緒事のよう

「これ、何かの足しにして.....」

と封筒を押しつけた。
「何よ?」
「いいから、とっておいて」

二人のやりとりを見て、
「いけないよ、陸夫ちゃん」

と充が口をはさんだが、陸夫は、たいしたアレじゃあり
ませんから、と手をふり、逃げるように通路を出ていった。
「まずいな」

何だか面目ないような思いで呟くと、葉子が封筒をジャ
ケットのポケットにおさめながら、
「いいのよ。あの子のために行ってあげるんだから」

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