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山崎正

あつた。もちろん、この長篇は作家開高健の優れた評伝で
もあるし、もつと鮮やかに日本の戦後精神史にもなつての
るが、なんといってもその核心は、ひとりの作家の友人で
あることの内省記録であり、自己分析の記録なのである。

日本がまだ敗戦の荒廃の跡を残してみた昭和二十五年の
冬、貧しい語学塾の廊下で、二十歳の大学生のまへに十九
歳のもう一人の学生服の男が立った。「タニザワさんです
かっ、ぼくカイコウですっ」。このとき、開高は世間並みに
「開高といふ者です」といふ言ひ方をせず、あたかも周知
の名をなのるやうに、「ぼく開高です」と言ったと著者は
記憶してみる。あるいは、十代の青年はすでに未来の作家
としての運命を予感してみたのかもしれず、さうでなけれ
ば一歳年長の青年の方が、その生涯の友人たることの苦痛
と喜びを予感したのかもしれない。いづれにせよ、著者は
この瞬間、相手に「何かを求めているらしい青年期特有の
体温放射」を感じとり、「咄嗟の呼吸」に通ひあふものを

をうろつき歩いて「咆哮した S気分」に襲はれる。『裸の 王様』が芥川賞候補に擬せられると、選考会の日には居て も立つてもみられず、昼は職場でありもせぬ用を作って時 間をつぶし、夜は酒場で閉店までねばつて気をまぎらは す。翌朝、受賞の報に接したときには、緊張に疲れきって 放心し、「空気の稀薄な山頭に、とつじょ身を投げだされ たような」弛緩を味はつたといふ。その後、暫時の不振と 静症ののちに、開高は大阪へもどって『日本三文オペラ』 の取材を始めるが、さうなると谷沢家の新家庭はたちまち そのための兵站基地と化す。といふより、著者は友人の世 話の万全を期するために、急遽、婚約者だつた夫人を呼び 寄せて、にはか仕立ての新所帯を作るのである。

いつたい、との無私の献身、無尽蔵の友情の溢費はなに どとなのであらうか。注目すべきことは、著者と開高健の 交遊は一面ではきはめて近代的であつて、かつてこの国の 文学青年のあひだにありがちだつた、あの幼児的な甘えあ ひがないことである。二人は、けっして泥酔して泣いたり 叫んだりせず、知人の噂と身上のぐちを語らず、それどこ ろか、恋愛や結婚といふ人生の深く私的な部分について は、冷いほどたがひの依存と容家を避けようとする。二十 代の青年は、もつぱら文学と文学をめぐる社会的成功のた めに結ばれ、しかも、のちに文学が開高の職業となり私生 活の隠微な一部になると、二人はもはやそれについても語 らうとしないのである。

現実への感受性と言葉への感覚の鋭さはいはずもがな、な
によりも著者を打つたのは、書かうとする「念力」であ
り、「一筋の、傍目もふらぬ執着力」であつた。開高は、
小説を書くために時流のイデオロギーに目もくれず、書く
ことの気力をそがれるのを恐れて、本能的にボール・ヴァ
レリーを遠ざけようとする。あらゆる書物を自分が書くた
めに読み、おそらく無意識に友人すら書くために選んでみ
た。著者は、この天性の「表現執念の権化」に出会つてそ
れに惹かれ、その「機関が確実に作動しはじめた個性、ま
どうかたなき作家の素型」に接して、「至上の幸福」を味
はつたのである。

しかし、著者のこの「幸福」はけっして単純な畏敬の念
でもなく、まして強者への屈服の快感でもあるまい。峻烈
な批評家でもある著者は、一面では友人よりも上に立つ
て、作家としての弱点も人間としての脆さも十分に見ぬい
てみる。かといって、自分自身が懸命の成長期にある著者
にとつて、それはまた、譬喩的な意味でも「母性愛」の満
足などであったはずはない。どう見ても著者を惹きつけた
のは、身辺に才能を見ることの純粋な喜びなのであるが、
だとすれば問題は、同年輩の友人に嫉妬も羨望も覚えさせ
ない、その特殊な才能は何かといふことになるだらう。

さう考へてあらためて思ひ出されるのは、あの初対面の
瞬間に、「ぼくカイコウです」と名のつて現れた作家の姿
であり、たしかにそのやうに名のって現れたと強く確信し

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た作家としての演劇性をやや古風なまでに体現してある作
家であった。そしてさういふ人間の存在は、彼の傍らにあ
て彼以上に繊細であり、しかしその鐵細さのゆみに自己を
英雄化できない友人にとって、どんなにか奇妙に魅力的で
あつたことであらう。『回想 開高健』を読むかぎり、著者
はおよそ自分の青春を「成長物語」として設計し、そのな
かで主役として身がまへ、人生の段階を音高く踏み鳴らし
て登る厚顔さに恵まれてみない。だが一方で、青春は誰に
とつても、けだるく、むずがゆく、不定型の酵屈と焦燥に
満ちてみて、いささかの自己劇化なしに生きられるもので
はない。著者がいつのまにか、開高健のなかに自分の身代
りを見いだし、それとともに生き、そのドラマをわがもの
とすることによつて、青春の倦怠をうつちやらうとしたの
は当然だらう。そしてさうすることによつて、たぶん谷沢
氏は自分の私生活を純粋に私的なものとして守り、感情の
誇張や歪曲や暴発なしに、成熟した節度をもつて送ること
ができた。作家の友人であることは、氏にとって、むづか
りがちな若い自我を馴らし、あるいはそれをいなしながら
生きる、ひとつのきはどく選ばれた方法だったにちがひな

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考へてみれば、これは程度の差こそあれ、ひとが文学を 読むことの幸せのひとつ、とりわけて「作家を読むこと」 の幸せの原型だ、といへるかもしれないのである。

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