とりあえず、ぼく自身について語ったほうがいいだろう。 二十年ほどまえに、ある新人賞の候補になったことがあり―四十に近かっ そう名乗ることによって、ぼくは地方のテレビの人生相談番組に出たり、講 小説は、といえば、中篇を年に二つか三つ、書くだけだった。もともとノン フィクション作家になろうとしていたのが、なにかの間違いで新人賞の候補に T とっびな言い方をするようだが、ぼくは〈偉大なる日本 考えに考えたあげく、それは〈迫害される芸術家の生 どのような迫害にもめげぬ超天才作家を描こうとする小 問題は、ぼくが「ジャン・クリストフ」を読んでいない ぼくが若かったころ、「ジャン・クリストフ」は必読の 書とされていた。音楽家である主人公がヨーロッパをさま よいつつ成長し、デモニッシュな創造力に生きる、〈たん なる文芸作品ではなく、一つの信仰の書〉であるらしいこ ドリーム・ハウス 間を蹴り上げた。その蹴り方はハウス・メイドにふさわし 何年かたって東京に戻り、小さな広告代理店で働いてい 彼女とどんな話をしたかは、すっかり忘れている。どん 彼女の言葉はいつもブッキッシュで、ぼくには少々滑稽 「その質問をされるのは六回目だわ」 彼女はデスクの上の現金書留の束を片手で押さえながら 彼女はレースのカーテンの向うの雨を見た。 そういう読み方もあるのか、とぼくは思った。数冊の 仕事の話はすんでいた。ビールなら、と、ぼくは言っ ぼくはビールを飲み、彼女はウイスキーをビールで割っ 三十分後に、彼女の酒癖がわかった。ぼくのももに顔を ドア・チャイムが鳴った。うるさいわね、と彼女はっ 幸い、怪我はなかった。腰を打っていたが、歩けぬほど それから間もなく、「メリー・ポピンズ」という映画が 声の主は心当りがあった。民放局の実力プロデューサー で、彼女の恋人と噂されている男だった。 何が起っても、ぼくの責任ではなかった。ぼくは平気だ 放送作家は驚くほどの早さで玄関に走り、ぼくの傘と靴 ぼくはむっとした。玄関から堂々と出てゆくべきだと思 そうはいかなかった。柄だけが手すりに残り、ぼくは傘 月に一日か二日、ぼくは都心の、国会議事堂から皇居の 部屋はそれほど広くはないが、壁のあちこちに嵌め込ま Tシャツだけで寛げる空間、地上百数十メートルに浮く 貧乏ったらしい話は、ぼくの趣味ではないのだが、ここ ぼくが借りているマンションは、新宿と渋谷から私鉄で 113 |